仕事の終わりに同じ職場の同期であり友人でもある女の子と晩ご飯を食べているときのことだった。彼女は最近彼氏と別れたらしく新しい恋をしたいと、あの人は格好良いだとかあの人は誠実そうだとか誰か紹介してくれないだろうかとかそんなことを話し、今日の私は主に聞き役だった。彼女の話はテンポが良く聞いていて飽きない。私はパスタをくるくるとフォークに巻きつけながら時折彼女の話に相槌を打っていた。

は気になってる人いないのー?」

急に話が私の方へ方向転換したものだから驚いた。驚いたせいか、パッとひとりの顔が思い浮ぶ。一度思い浮かぶとその人の横顔が何シーンもぽつぽつと表層に出てきてしまった。ずっと話を聞いてばかりだったから、そう問われたときに何か答えなければならないような気になってしまったのかもしれない。

「気になってるってほどじゃないけど」

言ってしまってからすぐに後悔した。気になってるってほどじゃないなら言わなきゃ良かった。でも、ここまできて言わないのもおかしいし、彼女は私が何か隠していると思うだろう。だったら軽く言ってしまった方がいい。冗談みたいに。まったく気にしていませんよーと言うように。

「……D課の三好さん?」

名前を挙げるのも少し恥ずかしかった。あの人格好良いよねーとかいう話の流れでなく、気になる人として挙げるべき人ではなかったかもしれない。優秀な人物揃いだというのD課の人とお前は釣り合うと思っているのか、あんな言わば雲の上のような存在の人とどうこうなると思っているのか。もうひとりの私が嗤う。

「D課? あの変人の集まりって噂の? D課の人間と知り合いだったの?!」
「ちがう、違うよ!ただ廊下ですれ違ったりとか遠目で見たりして綺麗な顔だなぁって思ったっただけで……」

それ以上どうこうなろうとかそういう考えではないのだ。もちろんお近付きになれるのならそれに越したことはないけれど。

「D課……、D課かぁ……」

そう言って彼女は深い溜め息を吐いた。無謀な恋だと言いたいのだろう。もっとも、まだ一言も言葉を交わしたことのないそれを恋と呼べるとは思えなかったが。

「当てはなくはない」

そう言うと彼女はスマートフォンを取り出し、素早く何かを打ち込み始めた。誰かに連絡を送ったのか彼女の手の中が時折小さく震える。

「食事は無理。合コンで手を打って」
「えっ、何? 合コン?」
「あとランチ。奢ってよね」
「えっ、えっ?! ランチくらい奢るけど、えっ?」

素早くスマホを操作する彼女とは対照的に私の頭は鈍く、回転しているかどうかもあやしい。

がこういうこと言うの珍しいから」

そう言って友人はにっこりと綺麗に笑った。



そんなこんなで合同コンパがセッティングされた。

三好さんがこんなところにくるとは思えなかったが、友人曰く『引きずってでも連れてこさせる』とのことだった。三好さんが物理的に引きずられるところなんてもっと想像出来ない。かといって何か騙されてやってくるとも考えにくかった。D課の面々はとても頭の回転が早いと聞く。ちょっとやそっとのことで騙されたりはしないのではないか。

直前まで半信半疑だったのだが、その場に彼は現れた。この合コンの幹事の神永さんという人とともに。彼は三好さんの同僚だということだった。まさか本当に騙されたりしてるのかと疑ってみたが、会が始まると彼はスマートに自己紹介を済ませた。こういう場に慣れているようにも見えたし、単に彼のスペックの高さからきているそつのない自己紹介のようにも見えた。私はといえば三好さんがこの場にいることへの混乱が収まらず、しどろもどろに自己紹介した。名前を名乗っているときは三好さんがこちらを見ているのが分かったから余計に上手く喋れなかった。

「ちょっと、大丈夫?」
「無理」
「連絡先くらいはゲットして帰るんだからね?」
「無理……」

彼女の言葉に全て『無理』で返していると不意にトントンと肩を叩かれた。

ちゃん、ちょっと席変わってくれる?」

振り向くとそこに神永さんが立っていた。そういえば彼が幹事ということは友人が連絡を取ったのはこの神永さんなのだろう。三好さんの同僚ということは彼もD課の人間であり、以前彼女が言った『D課の人間と知り合いだったの?!』という言葉をそっくりそのまま友人に返したかった。もっとも、うちの課でも美人と評判の彼女だから、それほど不思議な話でもない。

「君が座るのはあっち」

そう言って彼の元いた席、三好さんの隣を示される。こうなってはこれ以上この場でぐずぐずしているわけにはいかなくなった。友人の根回しは完璧で、ひとりでいる彼に声を掛ける女性もおらず、話しかけるなら今がチャンスだった。というより、ここで声を掛けなかったらいつ声を掛けるのか。

「あの!」

勇気を出して私が話しかけると彼はすっと視線を上げる。初めて彼と視線が交わる。こんなに近距離で、真正面から彼の顔を見たのは初めてだった。いつも記憶にあるのは彼の横顔ばかりだったことにたった今気が付いた。

「あの、D課の三好さんですよね?」
「そういうあなたはさんでしょう?」

彼の口から私の名前が出てきて、思わずひゅっと喉が鳴ってしまった。『なぜ』と言いたいのに驚きのあまり声が出ないでいると、彼がくすくすと口元に手をやって笑う。

「さっき自己紹介したじゃないですか」

確かにさっき自己紹介した。この場にいる人なら知っていて当然の事実なのに、それが彼の口から出た途端に動揺してしまった。まるで私と同じだとでも言うように返すから。そんなことないのに、勘違いしてしまいそうになった。

気まずさを隠すように椅子に座る。隣なら私が横を向かない限り、彼とは目が合わないから安心した。

「携帯、出してください」
「えっ?」
「僕の連絡先が知りたいんでしょう?」

これはさすがにまだ口に出してはいないはずだ。先ほどの自己紹介でまさか『今日は三好さんの連絡先を手に入れるためにやってきました』なんて言うはずもない。

「な、なんで……」
「先ほどからあなたはちらちらこちらを見ていたでしょう。そしてわざわざ携帯を持って席を移動してきた」

思わず彼の方を向くとまた視線が交わってくらりとする。

「簡単な推理です」

そう言うと彼は私の手から自然な動きで携帯を抜き取る。一瞬彼の両手に包まれた右手は燃えるように熱くなる。

「もっとも、それがなくたって神永から話は聞いていたんですけど」

言いながら彼は自分の携帯と私の携帯を操作して、連絡先の交換を済ませたのか「お返しします」とそれを私の手の中に戻す。確認すると確かに三好さんの名前が登録されていた。こんなあっさりと今日の目標が達成されてしまっていいのだろうか。

半分夢の中にいるようなふわふわした気持ちでいると隣の三好さんがカタリと椅子を引いて立ち上がった。周りはそれぞれ盛り上がっているようで、三好さんが立ち上がったことを気にする者は誰もいない。

「神永、帰ります」
「おー、気を付けてな」

言葉通り本当にそのまま帰ってしまいそうな様子に私は思わず「あっ」と声を上げてしまった。やっぱり彼は私のイメージ通りこういう場は好かなくて、それを無理矢理連れて来られたのだから義理を済ませたらさっさと帰りたいということなのだろう。あまりのめまぐるしさに私はそれ以上声を出せずにいた。

もう終わりなのか。本当に連絡先を交換しただけで終わってしまった。いや、連絡先を交換出来ただけでも昨日の私に比べれば大進歩なのだけれど、まだもう少しお話出来るのではないかと勝手に期待してしまっていた。三好さんが綺麗に微笑むから、勝手に高望みしてしまっていた。

「何をぼーっとしてるんですか。行きますよ」

こちらを振り返った三好さんがさも当たり前のような顔で言う。

「僕から連絡先を聞き出すという目的を達成した以上、ここにいる必要はないでしょう? もっとも、あなたが他の男性の連絡先も手に入れたいと思っているのなら無理にとは言いませんが」

そう言って彼は目を細める。私がただひとり三好さんの連絡先を知りたいがためにこの場に来たのを知っている顔だ。いや、実際彼は本当に神永さんに聞いて知っているのだったか。

「さあ、どうします?」

彼の挑発的な笑みに目の前がちかちかする。私がまるで熱に浮かされたかのように手を伸ばすと、彼はすっと優雅にそれを取ったのだった。

2016.06.25