向こうから歩いてくる三好さんの姿にぎょっとした。何かの訓練終わりなのか、上着を脱いでシャツの袖を捲っているのまでは良い。驚いたのは揺れる前髪の隙間から赤いものが見えたからだ。

「三好さん、怪我して……!」

前髪で隠れてはいるが、額に擦り傷が出来ている。彼は私の視線を辿り、さも今気が付いたかのような表情をした。いや、実際私の言葉で気が付いたのだと思う。彼らはたまにこういうことがある。

「ん? ああ、さっきの訓練でやったのか」

額の傷をぐいと拭って、指先に付いた血を眺めながら何でもないように言う。私なんかはそれを見ただけで痛い思いがして、思わず眉を寄せる。傷口を触るだなんて信じられない。私のその視線に気が付いたのか彼は安心させるようにやわらかい表情を作ってみせた。

「大丈夫ですよ。ただの擦り傷ですから」

しかし、額の血を拭ったその腕にも擦過傷があり、そちらも同じようにじくじくと血が滲んでいる。全くもって大丈夫そうには見えない。彼の言う通り擦り傷とは言え、軽いものだとも思えなかった。

「ダメです! 来てください!」

怪我をしたのとは反対側の手を取り、引っ張る。ぐいと力を込めて引いたあとで、もしかしたらこちら側も捻ったりなんなりしているかもしれないと思い至って、ゆっくり彼の手を引き直した。

「大げさですね」
「いいから来てください」
「はいはい」

降参だと言わんばかりに肩をすくめ、彼はおとなしく私の後をついてきてくれた。幸いなことに救急箱が置いてある部屋はすぐ近くだった。

「座ってください」

扉を開けて促せば彼は素直に従った。救急箱を開け、まずは額の傷から手当をしていく。次に右腕の傷。その間も「腕を出してください」とお願いすれば彼は私の指示に従って傷口を見せてくれた。やはり痛々しい傷に顔をしかめる。放っておけば化膿するかもしれない。もっとも、彼ならそうなる前に自分で処置を施しそうだが。

「他は? 他に怪我したところはありませんか?」
「ありませんよ。この二箇所で全部です」
「本当に?」
「誓って本当です」

その言葉にほっと胸を撫で下ろす。

「良かった……」
「心配してくれたんですか?」

面白がるような調子で彼が尋ねてくる。本当に答えに興味があるといった様子のそれに私は少しむっとする。「それは――」もしかしたら声色にも出てしまったかもしれない。

「それは心配しますよ」

何を当たり前のことを聞くのか。彼らはここで厳しい訓練を受けているのだ。詳しい訓練の内容など知らないが、危険が全くないとは言い切れないだろう。過剰だと笑うかもしれないが、心配したっていいじゃないか。それくらいは、させてほしい。特に、自分のことに無頓着な様子を見てしまうとこちらの胸が痛むのだ。きっと彼らにとってこれくらいの傷は本当に大したことではないのかもしれないが、他に私が出来ることもないのだからこれくらいは許してほしい。

まっすぐに彼を見据えると、三好さんはふっと視線を逸らし、その瞼を閉じて瞳を隠した。

「あなたは他の訓練生も怪我をしていたらこうして引きずってきて手当てするつもりですか? 大変ですね」
「あっ! 皆さん同じ訓練を受けていたなら同じように怪我してるかもしれないですよね……!」

目の前のことに精一杯でそこまでは気が回っていなかった。三好さんがこんな怪我を負うくらいの訓練なのだ。他の皆も同じように怪我していると考える方が自然だった。

「でもそれなら一人ひとり連れてくるより私が救急箱持って回った方が早いかも……」

私が考え込んでいると「ふふ」と笑い声が降ってくる。視線を上げると三好さんが口元に手を当てて笑っている。そんなにおかしいことを言っただろうか。

「あなたは優しいですね」

そう続ける彼はどこか安心した子どものような表情をしていた。

「でも、こんな程度の怪我で救急箱の中身を消費していたのではきっと中佐に怒られますよ。何せうちは貧乏世帯ですからね」

そこで初めて結城中佐に無駄遣いはしないようにと言われていたことを思い出した。備品は節約しなければならない。そのことはすっかり頭から抜け落ちていた。結城中佐に怒られてしまうだろうかと慌てながらも、いやこれは必要な手当だと自分自身に言い聞かせる。

「今回の訓練でひどい怪我を負った人はいませんから安心してください。それに」

三好さんはそこで一旦言葉を区切って、いたずらっぽい瞳を猫のように細めた。

「あいつらの傷なんて舐めとけば治ります」

三好さんのあまりの言いように私が思わず「ふふ」と笑いを零せば、彼も同じように笑った。

「手当て、ありがとうございます」

立ち上がり、礼を言う三好さんに「お大事にしてくださいね」と声を掛ける。それに彼は振り返り、両の口の端を綺麗に上げて応えてみせた。

2016.06.14