洗濯かごを抱えながら注意深く階段を上る。大きなかごいっぱいに積んだ洗濯物はちょうど足元あたりの視界を遮るものだから、首を長く伸ばしてみてたり、一歩進むごとに足先で確認しながら歩かなければならない。少し失敗したかもしれないなあと少しずつしびれてきた腕を誤魔化しながらまた一歩上る。しかし、踊り場に着いて一呼吸入れると不意に腕の重みがなくなった。

「持ちますよ」
「み、三好さん……!」

驚いて顔を上げるときれいな笑みを作った顔があった。とっさに彼のスーツが皺になってしまうと心配したが、何故か今日の彼は上着を着ていなかった。上着を着ていない三好さんというのも珍しい。

「あの、これは私の仕事で……!」
「この前『僕を呼んでください』と言ったでしょう」

少し不貞腐れるような声色。

「あれから一度も声を掛けられた記憶がありませんが」

確かに以前夕食の準備を手伝ってもらったあと、三好さんに何事かを頼んだことはない。手伝ってもらうような事態がなかったのだ。そもそも仕事はつつがなく終えられた方が良いに決まっているからそれはむしろ喜ばしいことなのではないかと思うのだが。

「それはその間特段困ったこともなかったからで――」
「今がそのときだとお見受けしましたが」
「こ、これは私が横着しようとしただけで……。頑張れば持てる量なので平気です」

時間に追われていたわけでもない。ただ何度も往復するのが面倒くさく思ってしまって、ついいつもよりかごに山盛りにして運んでいたのだ。これくらいならいけるだろうと。視界が不良になることは完全に念頭になかった。

「自分の責任ですし、本当に、三好さんに手伝ってもらうようなことではないので」
「それじゃあ、女性が重いものを持っているのを黙って見過ごせない――これで納得してもらえませんか?」
「……三好さんは本当にお上手ですね」
「ありがとうございます」

彼はにっこりと笑顔を作ってみせる。口では彼に勝てない。もっとも、私が三好さんに勝てる要素なんてこの世にあるのかすら定かではないが。

「今日の洗濯はこのかごひとつですか?」
「そうです……」
「ふふ、本当に横着をしようとしたんですね」
「すみません……」

申し訳なさでいっぱいになる私とは対照的に三好さんは至極楽しそうだった。私が必死で持っていた洗濯かごを彼は安々と運んでいく。私はその後を所在なさ気についていくしかなかった。私の仕事だというのに、私が何も持っていないのは正直居心地が悪い。私のしたことといったら、最上階で両手のふさがっている彼の代わりに屋上への扉を開けたことぐらいだった。

結局は目的地まで重い荷物を運ばせてしまった。かごを下ろして軽く伸びをする彼に向かって深々と頭を下げる。

「本当に、ありがとうございます」
「階段を一階分上がっただけですよ」
「でも、本当に助かりました」
「お役に立てたのなら何より」

三好さんが運んでくれたかごの中身を取り出し、あとは自分の仕事だと言わんばかりに威勢よく洗濯物を干していく。三好さんも「ここはあなたの領分ですからお任せすることにします」と引き下がってくれた。洗濯物たちが屋上に並んでいく。私はこの時間が好きだった。天気の良い日に、屋上で、ということもあるが、何より洗ったものを次々並べていくのはなんだか達成感があった。

「三好さん、今日の講義は?」
「もう少し後の時間からです。心配には及びません」

シーツが風にはためく。心地良い風が頬を撫でていく。頭上には雲ひとつない青空が広がっていて、とても洗濯日和だ。おもむろに三好さんが立ち上がって私の隣に並ぶ。

さん」

白い背景に立つ彼は輪郭がぼやける。「はい」と返事をすると、彼はちょっと笑ってみせる。まるで私が返事をするのがおかしいみたいに。けれどもそういうふうに笑う表情は、背景と相まって、とてもきれいだった。

「三好さん、今度何かお礼させてください」

思いついたことを口に出せば、三好さんは視線をこちらへ向ける。この前も手伝ってもらった、今日も助けてもらった。私ばかりが彼に与えられてばかりいることに気が付いた。

「お礼をしてほしくてやった訳ではありませんよ。それにほとんど僕があなたの仕事を無理矢理奪ったようなものですし」
「でも、私がしたいんです!」

自分の声が屋上に響く。目の前には少し不意を突かれたような三好さんの表情がある。一瞬遅れて、そんなはずはないのに建物中に聞こえてしまったような気がして顔が熱くなった。

「その……、助けていただいて嬉しかったので……」

思わず大きな声を出したことに恥じ入りながら続けると、目の前の人の雰囲気がやわらぐのが分かった。これはきっと受け入れてもらえる。

「ええ、それじゃあお言葉に甘えて何かお願いしましょうか――」

風が白いシーツの間を通り抜けていく。

2016.06.07