そろそろ戻るつもりで廊下を歩いていると、夕飯が済んでからまだ数刻も経っていないというのに、食堂からガヤガヤと大きく陽気な声が聞こえてくる。どうやら、扉が少し開いていて、そこから声が漏れてきているようだった。ちらりと中を覗くとちょうど田崎さんと目が合った。なんだか嫌な予感がして、慌てて扉から離れたが、少し遅かった。「さん」と声を掛けられてしまった。聞こえなかったふりをしてこの場を去ってしまおうかとも思ったが、それよりも早く田崎さんが中から扉を大きく開けてしまった。食堂の中では酒宴が開かれていたようで、機関員の面々が揃っていた。

「お願いがあるんだけど」

扉に手を掛けて立つ田崎さんからはかなりの酒のにおいがした。彼らが酒を飲むのは特段珍しいことではないが、日付が変わるまでまだ随分あるこの早い時間にこれほど飲んでいるのは珍しかった。

「三好が潰れちゃったんだ。悪いけど部屋まで連れて行ってくれないかな?」

なぜ私がと思わなくもなかったが、全員結構な量を飲んでいるようで、他人の介抱が出来るような状態ではないように見えた。こんな風に全員が酔っているのは珍しい。あの小田切さんまでもがうとうとと目を閉じて今にも寝てしまいそうな様子だ。

「今日の三好は勝利の女神に見放されたようでね」

そう言って甘利さんがちょこっと笑う。つまりがゲームに負けるごとに酒を煽らせていたということだろう。

「ということで、はい、よろしく」

言うが早いか神永さんが三好さんを無理矢理渡してくる。肩を貸して立たせるまでしたのならば神永さんがそのまま部屋まで運べばいいのにと思わなくもなかったが、文句を言う前に三好さんがこちらに体重を預けてきてしまったので、その言葉は飲み込んだ。

にっこり笑みを浮かべる実井さんに扉を開けられ、なぜかそのまま送り出されてしまった。

「三好さん、大丈夫ですか? しっかりしてください」

廊下を歩きながら三好さんに声を掛ける。気分が悪いだとかそういうのはなさそうで安心する。大体酔って足元が覚束ないだとか眠くなってしまった程度のようだ。あまり面倒くさい酔い方をする人じゃなくて良かった。この分ならつきっきりで介抱する必要もなく、部屋で寝かせることが出来れば任務完了とみなして良いだろう。

「ほら、歩いてください」

「んー」と言葉になっていない返事が返ってくる。こんな三好さんは初めて見た。きっと私の想像もつかないほど飲まされたのだろう。

幸い、彼らの寝る部屋まではさほど遠くなく、私の体力が尽きる前にたどり着いた。

明かりを点けたかったが彼を支えている状態では難しかったので暗いままの部屋に三好さんを運び込む。あまり力の入らない様子の彼をとりあえずベッドの端に座らせると一仕事終えたような気分になった。ちゃんと部屋までは連れてきたのだからこのまま帰っても良かったのだが、ここまできて酔った人を放置するのもどうかという思いが頭を過ぎってしまった。

「三好さーん、ベスト脱がせますよー」

手早くボタンを外し、ベストを脱がせる。酔っ払っている人間相手では手間取るかと思いきや、案外すぐに済んだ。

ネクタイも外さなくては苦しいだろうと、それに手を掛ける。瞬間、少しの気恥ずかしさを覚えたが、頭を振ってそれを追い払う。こんなのは怪我人の手当と同じことだ。覚悟を決めれば、するりとあっけなくネクタイは解けた。ついでにボタンも外して彼の首元を緩める。しかし手を離そうとした途端、急に手首を掴まれドキッと心臓が跳ねた。

「大胆ですね」

見ると三好さんが目を細めてこちらを見上げていた。手首は酔っているにしては思いがけず強い力で握られている。私が支えられる程度に掛けられた体重。廊下を歩いているときから薄々感じてはいたが――

「三好さん、本当はあんまり酔っていないでしょう」
「いやだな、いつもよりは酔っていますよ」

そう言って三好さんが前髪を掻き上げる。はらりと重力に従って落ちた髪が妙に瞼に残った。

「嵌められて、限界近くまで飲まされたのは本当です」

“限界近く”ということは本当の限界はまだ先なのだろう。とはいえ、彼らが飲ませると決めたからにはかなりの量を飲ませたのも事実だろう。限界がきたふりをして上手くかわしたのか、それとも彼らが想像していた以上に三好さんが酒に強かったのか。

「久しぶりに酔って気分が良いです」
「そうですか」

それなら一人で部屋に帰れただろうし、私がベストを脱がせネクタイを解く必要もなかったのではないかと思ってしまった。脱力する私とは対照的に彼は酒の力もあってひどく楽しそうな様子だった。

「今度さんも一緒に飲みませんか」
「いやですよ。どれだけ飲まされるか分かったもんじゃありませんから」

彼らと一緒に酒を飲んだことはない。お酒に強い彼らと一緒に飲んでいたら知らず知らずのうちについつい飲み過ぎてしまったなんてことになりかねない。今日の三好さんのようにはなりたくない。危険な橋は渡らないに限るのだ。

「つれないなあ。それじゃあ今夜僕の隣で添い寝ならいかがですか」
「三好さんやっぱり酔ってます?」

こういう冗談はあまり三好さんらしくない。

「少し」

そう言う彼の表情は上手く見えなかった。

「もう、酔っ払いは早く寝てください」

軽く肩を押してベッドに横にさせると、また「大胆ですね」と三好さんが笑う。この酔っ払い。

「枕元に水を用意してもらえるよう誰かにお願いしといてあげますから」
「ありがとうございます」
「ちゃんと寝てくださいね?」
「ええ、おやすみなさい」

こうして話しているともうすっかりいつもの三好さんだ。私はそれに安堵したような、がっかりしたような――。今日の三好さんはおかしかったが、自分も大概おかしい。今さら早鐘を打ち始めた心臓を押さえながら、努めて冷静に、「おやすみなさい」と挨拶をして彼の眠る部屋をあとにした。

耳元にまだ彼の笑う声が残っているような気がした。

2016.05.25