「三好さんはずるいです」
「何がです?」

彼はそう返しながらぱらりと本の頁を捲った。彼の足元には真っ白なきれいな毛並みの猫がすり寄っている。行ったり来たりを繰り返しながら時折にゃおんと小さく鳴いて構って欲し気に彼の方を見ている。午後のやわらかな光の差し込む窓辺に読書する青年と白猫はなんだか絵画でも見ているような気分になる。

「とても懐かれてますよね」
「今は彼女の気まぐれだと思いますが」

あまり興味なさそうにしながらも彼は少し身を屈ませて猫の額を撫でる。彼女は満足そうにぐるると喉を鳴らした。彼女に好かれている三好さんには分からないのだ。この状況がどれだけ特別か。

このD機関で世話をしているこの猫はまだ子どもで、主に私や料理を担当し食堂にいることの多い福本さんごはんをあげることが多い。三好さんはたまたま居合わせたときにこうして少し構ってやるくらいなのだが、白猫に異様に懐かれていた。私なんてほぼ毎日朝ごはんをあげているのに、彼女はごはんをあげる直前にしか喉を鳴らしたことがない。ましてやこんな風にすり寄ってくることなんてこれまで一度も経験がない。

「……羨ましいです」
「そうですか?」

三好さんの指で撫でられる猫は気持ちよさそうに目を細めた。三好さんはもしかして猫の扱いを心得ていたりするのだろうか。彼女は気位が高いのか誰にもこんな風に触らせたりしないのだと思っていたけれど、もしかして私の撫で方が悪かっただけだったりはしないだろうか。そんなつもりはなかったが無知が故に猫の嫌がることをしていたのでは――

カタリ。

彼の指先を観察していると、小さな物音がした。釣られるように視線を上げると、するりと何かが頬を撫でた。そのまま輪郭をなぞり、顎の下に触れる。丁度、伏せた目を上げた彼と目が合った。挑発的で、それでいて面白がっている瞳だった。

「な、なにしてるんですか!」
「いえ、羨ましいなどと仰るので貴方もこうして撫でてほしいのかと思いまして」
「うらやましいと言ったのは三好さんに対してですよ! 猫に懐かれて羨ましいと……」
「おや、そちらでしたか」

何度か顎の下を撫でたあと、スッと彼の指が離れる。その流れるような指先の動きにも視線が奪われる。時間にすればほんの数秒のことだったに違いない。

我に返った瞬間に神永さんと波多野さんの笑い声が耳に飛び込んでくる。それでここは機関員が集まる午後の食堂だったことをようやく思い出した。

「目丸めて驚きすぎだって!」
「それにしたって三好のアレでオチないとは大物だなー」
「珍しく読みが外れたみたいだね、三好」
「ええ、どうやら僕の勘違いだったようです」

彼は甘利さんの言葉に何でもないように答えて、今度はテーブルの席に着いた。どうやらトランプゲームに参加するようだ。

壁の時計を見ると思ったよりもここでゆっくりしてしまっていたようだ。午後もしばらく過ぎてしまっている。今日もやらなければいけないことはまだ残っている。椅子から立ち上がって、食堂を出ようとしたところで三好さんと目が合った。

彼の唇が綺麗な弧を描く。

今度はぶわっと熱が上がるのが分かった。思わず力が込もってしまい、扉がバタンと大きな音を立てて閉まった。中にいる皆はその音を不審に思っただろうか。

先ほど撫でられたときは驚きが勝って、照れなど微塵も感じなかったが、こうして落ち着いてみると自覚する。彼は私の無意識を見抜いていたのだ。

「どうしよう――」

思わず頭を抱えて座り込む。もう彼のその指先をまともに見れる気がしなかった。

2016.05.23