「あら、素敵なお花ですね」
食堂へ入ってきた実井さんの手には鮮やかな色の小さな花束があって、思わずテーブルを拭く手を止めて声を掛ける。私の言葉に、実井さんがその花束へ注いでいた視線を上げる。
「誰かからの贈り物ですか?」
「実は、先ほど迷子になって困っているおばあさんがいたので目的地まで案内した帰り道に今度は倒れているおばあさんがいたので介抱したあと背負って家族のところまで送り届けたら頂いたんですよ」
すらすらと言葉を紡ぐ彼のどこまでが本当のことなのか分からない。そんなに困っているおばあさんにばかり会うものなのだろうか。実井さんが私に嘘を吐く理由もないけれど、適当なことを言って誤魔化した可能性はある。いつも私は彼の言葉に煙に巻かれてばかりなのだ。
嘘とも本当とも付かない言葉に苦笑をひとつ落として、再び掃除を再開させると「さん」と彼が私の名前を呼ぶ。
「何ですか?」
何気なく振り返ると、思ったよりも近くに彼がいて驚く。
すっと綺麗な仕草で実井さんが私の正面に膝をついた。
「――千日紅です」
そう言ってひざまづき、花に両手を添えてこちらへ差し出す。思わず目を丸くして彼を見ると、実井さんはそのやさしそうな瞳を瞬かせてこちらを見上げていた。
「どうぞ、受け取ってください」
こんな風に男の人にひざまづかれたことなんてなくて、思わず半歩後退る。彼の差し出す動きに合わせて、丸い小さな花たちが揺れる。
「あなたならきっと綺麗に飾ってくれるでしょう?」
確かに、殺風景な部屋を少しでも明るくするため時折花を買っては食堂などに生けている。慣れていることではあるけれども。
「だからって、こんな……」
「おや、お気に召しませんでしたか?」
まるでお芝居の中に入り込んでしまったみたいだ。背景は見慣れた食堂の壁のはずなのに、何故だかいつもよりずっと白く見えた。
「甘利さんや田崎さんならやりそうですけど……」
もしくは神永さんあたりが戯けてやりそうだ。けれども、まさかそれを実井さんがするなんて思わなかった。何だか落ち着かなくて思わず視線をあちこちに彷徨わせたあとに、ようやく差し出されたままの花に戻すと、その向こうで実井さんがまっすぐにこちらを見つめていた。てっきり、慌てる私を見て面白がっていると思ったのに。
懇願するように、こちらを見上げる実井さんの姿は倒錯的ですらあった。目眩がしそうなほどに。
「これは僕が、受け取ってほしかったんですよ」
そう言って彼が私の手を取り、それを握らせる。それがなぜだか妙に実井さんらしかった。それに私も少しだけいつもの調子が戻ってくる。
「……ありがとうございます」
私の言葉に彼は満足そうに笑顔を作ると、立ち上がって膝を払う。
「では、あなたの部屋にでも生けておいてください」
「もう、花を生けておいてほしいのなら普通に頼めば良いのに」
「それじゃあつまらないでしょう?」
もうすっかり普段の実井さんに戻っている。未だ頬に残る恥ずかしさを振り払うように手に持ったままだった台拭きをぎゅっと握る。それを見つけて実井さんはまた面白そうに笑うのだった。
2018.06.27