冬が一歩一歩近付いていることが感じられるこの季節は空気が澄んでいて気持ちが良い。殊に晴れの日の朝は。まだ日がてっぺんに来る前の午前中に買い物に出るのが好きだった。夏のじわじわと暑い時期のように涼しい時間のうちに用事を全て済ませてしまおうと焦ることもない。かと言って真冬のように芯から冷えるような寒さもない。

――そういう日はつい足取りが軽くなって、まっすぐ帰るのが惜しくなってしまう。

「何を見てるんだ」

突然後ろから聞こえた声にひゅっと心臓が跳ねた。思いの外近くから聞こえたそれは、直前まで全く気配がなかったのだ。そんな風に驚かす人を私は知っている。

「福本さん、驚かせないでくださいよ……」

飛び跳ねた心臓を押さえるように胸に手を当てて深く息を吐く。振り返ると思った通りの人物が思った通りの無表情で立っていた。

いつも通りスーツ姿の彼は、出勤途中の勤め人にしか見えない。少し遅めの時間の出勤か、そうでなければこれから得意先へ行くのかといった雰囲気を持っている。もちろん実際はそのどちらでもないのだけれど。

「いつもの買い物かと思ったがこんな道を通るなんて、一体どこまで行っていたんだ?」
「これはですね、決してサボってたわけではなく!」

痛いところを突かれて思わず声が裏返ってしまう。サボっていたわけではない。けれども少しだけ遠回りをして帰るために使った時間が無駄ではないかと問われると返す言葉がないのだ。

「そろそろこの並木道の紅葉が綺麗な頃だと思って」

ずっとこの並木道が見事な絨毯を敷くのを心密かに待っていたのだ。視線を道の向こうへ向けると一面に落ち葉の絨毯が続いている。見慣れた風景が一色に染まっているさまはそれだけで何だかわくわくするものだった。

「それはサボりとは言わないのか?」

にやりと彼が笑って問いかける。それが彼の冗談だと分かる程度には同じ時を過ごしているので、私も同じように笑って「そうかもしれません」と返す。

一年前は彼がくつくつと笑って「冗談だ」と種明かししてくれるまでそれが分からなかったことを懐かしく思う。見事に騙されて慌てる私を彼はおかしそうに笑っていたのだけれど、最近の私が騙されないのも何故だか彼は以前と同じくらい面白そうにするのだ。

「福本さんはお出掛けの帰りですか?」

いつものように街で遊んできたのか、それとも訓練だったのかは知らないが、彼は昨夜帰っていないようだった。朝食の席にも姿が見えず、もしかしたら今日も一日帰ってこないかもしれないと思っていた。

「ああ」

彼が短く答える。今日はこのまま協會へ帰れるらしい。彼らは数日帰ってこない日もあるので、彼の答えに私はこっそり安堵したのだ。

「お腹空いてます? 簡単なもので良ければ帰ってから作りますけど」
「頼んでもいいか?」
「もちろんです」

答えて一歩踏み出すと落ち葉が足元に舞う。ハートに似た形の葉が、歩みに合わせて踊る様子が面白くて、私は無意味にその場でくるりと一周してみせる。福本さんがそんな私の隣に並ぶとサクサクと二組分の足音が楽しげに鳴った。

「確かに見事な銀杏並木だな」
「でしょう? 私ずっとこの季節が来るのを楽しみにしていたんです」

福本さんが上を見上げるのにつられて私も視線を上げると目の前に銀杏の葉がはらはらと舞いながら落ちてきた。



不意に名前を呼ばれ振り向くと、すぅっと彼の手がこちらに伸びてくる。思わずびくりと体を硬くしてぎゅっと目を閉じたが、彼の手はそのまま軽く私の頭を掠めた。

「な、なんですか?!」
「付いてた」

そう言って彼は手の中の銀杏の葉をくるくると弄んだ。その葉が私の頭に付いていたのだろう。彼はそれを取ってくれただけなのに過剰に身構えてしまった。――それが私ばかりが彼を意識しているようで恥ずかしかった。

「はは」
「ちょっとびっくりしただけでそんな笑わないでくださいよ!」
「だって驚きすぎだ」

彼が笑っているのにつられて、私も肩の力が抜けて一緒にふふと笑う。彼がいなかったのはたった一晩だけだったのに、こうして笑い合っていると日常が戻ってきたのだと思える。

彼の隣で見る銀杏の色は、先ほどよりも随分と鮮やかに見えた。

2016.11.12