それまでソファーの横でおとなしく寝そべっていたジョンがひとつ吠えたので何かと思って目を擦った。つけっぱなしのテレビの音が鈍く頭の中に入ってくる。玄関の方から物音が聞こえてきたところで私の目は一気に覚めた。慌ててふかふかのソファーから腰を浮かせて玄関へ向かう。うたた寝なんてするつもりはなかったのにこのふかふかのソファーがいけないのだ。リビングのドアを開けるとこの家の主がちょうど靴を脱いでいるところだった。

「あ、キースおかえりなさい!」
来ていたのか」
「テレビ付けたら中継やってたからね。ジョンにごはんあげてないでしょ。お腹空かせたらかわいそうだと思って」

でも意外と帰ってくるの早かったね、そう言いながら彼の愛犬のジョンを撫でる。ご主人様を出迎えるために一緒に玄関についてくるとてもいい子だ。

私はたまにこうしてキースの家を尋ねる。それはあまり珍しいことではない。以前キースの帰りが遅くなってしまったときにジョンにごはんをあげてくれないかと頼まれたのが最初だった。どうせ暇だったので快諾したらその日真夜中近くに帰ってきたキースに合鍵を渡された。今後帰りが遅くなるときは代わりをお願いしたい、と。しかしここ最近夜に中継があってもヒーローの活躍によりすぐ解決されていたから私の出番はなく、こうしてキースの家に来るのは2週間ぶりだった。

「ありがとう!助かったよ」

そう言ってキースはしゃがんでジョンの顔を挟んでわしゃわしゃと撫でた。私が来たときもジョンは嬉しそうにしっぽを振って出迎えてくれたが、キースに対しては嬉しさを体中で表現しているようだった。今にもキースに飛びかかりそうだし、しっぽはちぎれんばかりにブンブンと振っている。やはりご主人様が一番なのだろうなとこちらまでなんだか嬉しくなる。

「ついでに夕飯も作っといたから。いらなかったら私が食べようと思って」
「ちょうどお腹がぺこぺこだったんだ。一緒に食べよう!」
「良かった。今あたため直すわ」

キッチンへ向かおうと踵を返すと後ろからキースとジョンが楽しそうについてくる。くるくるとキースの足元を回って、たまに私のふくらはぎに鼻をこすりつけてくる。キースが帰ってきたことが嬉しいんだろう。その気持ちは私にも分かる。

「リビングで待っててね」
「何か手伝うことは?」
「あたためるだけだから。運んでもらうとき呼ぶ」
「分かった!」

そう言うとキースはリビングでジョンとじゃれ合い始めた。キースがこちらを見ていないのを確認してから、私は自分の手を頬に当てた。案の定手がひんやりと冷たく感じた。

自分でやっておきながらも、今の会話はまるで恋人同士のようで照れる。実際は私はキースのただの幼なじみで恋人になど一度もなったことがない。幼なじみと言っても私の方が年が下だから彼は私のことを妹に近い存在だと思っているのかもしれない。彼女でもないくせに出しゃばりすぎかなと思うこともあるけれど、たまにこうしてやってきてもキースが迷惑そうな素振りを一切見せないからいいかなと勝手に都合よく解釈している。それに合鍵を返せと一度も言われないから、聞かなくともそういう関係の女性がいないのだと思ってる。いたらさすがのキースでも別の女に合鍵を持たせるはずがない。それもただの幼なじみに。

そんなことを考えているとスープがぐつぐつ煮える音がして一気に現実に引き戻される。慌ててお皿を取り出して盛りつける。我ながら今日の料理はうまく作れたと思う。

「出来たよー」
「おお!おいしそうだ!」

あたためたスープを持っていくとキースは立ち上がって私の手からお皿を受け取った。立ち上るにおいを嗅いで嬉しそうな顔をする。

キースは恋愛事に奥手だけれども、そういうのを適当にやる男ではないことを知っている。だから私を部屋に上げる限りは恋人はいないだろう。しかしそれと同時にキースが私をただの幼なじみとしか思っていないことも知っていた。私のことを好きだったらきっととっくに言ってくれているだろう。だから告白なんて出来ない。キースは想ってもいない女と付き合うような人じゃないから、きっと言ったって振られてしまう。幼なじみと思っているからこそ私を信頼して合鍵を預けてくれているのだろうし、もしここで私に下心があると知ったら『応えられないから』ともう私が部屋に来るのを許してくれないかもしれない。それくらいキースは誠実な人だ。

「食べてもいいかい?」
「どうぞ召し上がれ」

料理を運び終えるとキースは待ちきれないというように目を輝かせた。私は彼の恋人ではないけれども、こうして彼のために何かしてあげられるのはとてもしあわせだ。ヒーローのこととか能力のこととかキースはあまり話さないし、私はでは共有出来ないけれども、こうやって小さなサポートで少しでもキースの力になれていたらいいなぁと思う。本当に小さなことしか出来ないのが歯がゆかったりするのだけれど何も出来ないよりはいい。

の作る料理はどれも絶品だね」
「普通だよ。でも、ありがとう」
「帰りが遅くなったときに君がこうして待っていてくれるととても嬉しいよ。の顔を見ると疲れも吹っ飛ぶ」

ああ、早くキースが私のこと好きになってくれればいいのになぁ。そうしたらキースのためにもっとたくさんのことさせてね。


恋人ごっこ