きっかけは昨日のドラマの話だった。億泰くんは自販機までいちごオレを買いに行っていて、私と仗助くんは少しの間だけふたりきりだった。九時から始まるそのドラマはとても人気でクラスの友達は皆見ているし、もちろん私も見ていた。仗助くんはたまたまお母さんが見ていたところに居合わせて一緒に見たと言うから「タクヤかっこよかったよねー」なんて、仗助くんとふたりきりでお話出来るのが嬉しくて、昨日の感想を求められてもいないのにぺらぺら喋っていた。
「ヒロインをこう、ひょいって抱え上げて…… 」
「あー、そんなシーンもあったなぁ」
「ああいうお姫様抱っこって憧れるよね」
「そーゆーもんかァ?」
「そーゆーものなの」
そう言えば仗助くんは「ふぅ〜ん」と気のない返事をする。きっと男の子には分からないのだろう。最後の玉子焼きを口の中に放り込んで、空になった弁当箱を置く。何か別の話題はないかなと「そういえば」と言いかけたところで、するりと背中と膝裏に腕が回されて、私の言葉は途中で小さくなって聞こえなくなってしまった。
「お姫様抱っこってこーゆーやつだろ?」
そう言ってなんと仗助くんは私を横抱きに抱え上げたのだ。ふわりと足が地面から離れる。それなのに彼の腕がグッと私の体を引き寄せるものだから頭の中がぐちゃぐちゃになった。
「じ、じょうすけくん…!」
「ん?」
仗助くんはそんな私の思いも知らずに無邪気な表情をしている。
「降ろして! お願いだから!」
重いとか思われたらどうしよう。放課後億泰くんと一緒に甘いものを食べているのをいつも隣で見ていて『お前らよくそんなに甘いもんばっか食えんよなァ〜〜』と呆れ声で言う仗助くんだから、私が軽くないことぐらいとっくに知っているだろうけれど、それとこれとは話が別だ。ブタみたいとか思われたらこれから先、生きていけない。
「うわっ! ちょっ! 暴れんな!」
「ヤダ! 降ろして!」
ひたすら「ヤダ」と「降ろして」を繰り返す私に負けたのか仗助は要望通り地面に降ろしてくれた。私が手足をバタつかせて力の限り暴れていたというのに、ゆっくりと、丁寧に。
「なんだよ、憧れてるんじゃなかったのかよぉ」
仗助くんが拗ねた子どものような声を出す。確かに私はお姫様抱っこに憧れてるとは言ったけれども、今すぐ抱き上げられるなんて思ってもみなかった。心の準備が出来ていない。
「〜〜〜ッ!」
頭が混乱して言葉が出てこなかった。仗助の顔が見ていられなくて、私に出来ることは空のお弁当箱を地面に置いたままにしてその場から逃げ出すことだった。「あ、おい!」と仗助の声が背中から聞こえてきたけれども無視して階段への扉を開けた。
「あれェ〜〜? そんなに慌ててどこ行くんだ?」
階段の途中で戻ってきた億泰とすれ違ったけれども、私には返事をする余裕がなかった。そのまま億泰くんの隣を駆け抜ける。とても早いと言える足ではなかったけれども、仗助くんが追いかけてくる気配はなかった。それでも私は足を緩めることなく自分に出せる最高スピードで逃げ続けた。
*
「ゆゆゆ、由花子ちゃん!」
と、康一くん! 見えたふたつの人影に大きな声で呼びかけるとふたりはくるりと振り返った。由花子ちゃんは康一くんとのふたりきりの時間を邪魔されてあからさまに嫌そうな顔をしていた。昼休みの始まる前に今日は康一くんとふたりきりでお弁当を食べるから一緒に食べれない、中庭にいるけれども絶対に邪魔をしないでほしいと釘を差されたのは記憶に新しい。でも今はそれに怯んでいる場合ではないのだ。
「仗助くんが、仗助くんが…!」
「さん、どうしたの? とりあえず落ち着いて! 仗助くんが何?」
由花子ちゃんに助けを求めにきたのに何故か康一くんが私の話を聞こうとしてくれる。私としては康一くんでも話を聞いてくれればどちらでも構わなかったので、先を続けた。
「仗助くんが私をひょいって!」
由花子ちゃんと康一くんは顔を見合わせる。「もうちょっと分かるように説明してくれる?」そう言われてもこれ以上の説明なんて出来ない。ドキドキと心臓がうるさいのは走ってきたからだけじゃないはずだ。
「だから、仗助くんがひょいって! ちょっとお姫様抱っこに憧れてるって言っただけだったのに!」
「あら。いとしの仗助に抱っこしてもらえたなら良かったじゃない」
「そうじゃなくて!」
「ちゃんとどさくさに紛れてぎゅっと抱きついたの?」
「そう、じゃなくって…!」
仗助くんの厚い胸板に触れたときの熱だとか、私を持ち上げる私のよりずっと太い腕だとかを思い出して、とても平常心でいられるわけがないと思った。今もまだ彼の顔をまともに見れる気がしなくて膝に顔を埋める。好きな人に抱きかかえられて平気でいられるわけがない。きゃあとかわいい悲鳴を上げて、どさくさに紛れて彼の首に腕を回したりすれば良かったのにと思うけれど、そんなこととても出来そうにない。
「あの仗助にしては頑張った方なんじゃないかしら」
「そういえば、この間は億泰くんを持ち上げようとしてたなぁ」
当然持ち上がんなかったけど、と康一くんはそのときのことを回想してみせる。きっと仗助くんがさっき私を抱き上げてみせたのもその延長線上だったのだろう。友達だからやってみせただけ。それ以上の意味なんてないって分かってる。
「とにかく、ちゃんと謝るんだよ? 仗助くん」
康一くんのその言葉にハッとして彼の視線の先を追えば、物陰からこちらを窺う仗助くんと目が合った。いつからここにいたのか、どこから話を聞かれたのかと青ざめていると由花子ちゃんが「たった今来たところよ」とこっそり耳打ちしてくれた。
「仗助くんってデリカシーないよね」
「オレだってなァ! が喜ぶと思ってやったんだぜ?!」
物陰から出てきた仗助くんは康一くんとそんなやりとりをしている。仗助くんはひどく優しい。仗助くんに抱き上げられたこと自体は嬉しかったのだと弁解したいのだけれど、それをすることが出来ないのは私が意気地なしだからか。
「康一くん、行きましょう」
「ちゃんと謝るんだよ?!」
康一くんは最後にもう一度仗助くんに釘を刺して由花子ちゃんとふたり連れ立って行ってしまった。気を遣ってふたりきりにしてくれたようにも見えるが、きっと由花子ちゃんが康一くんとふたりきりになりたかっただけだ。私は置いて行かれたのだ。
「……」
「……」
お互いに何も言わない。仗助くんが何を考えているかは分からない。ただ、私の方は重いと思われただろうかとか仗助くんは他の女の子にもこんなことをするのだろうかとか色んな余計なことをぐるぐると考えてしまう。
「あー、その……悪かったって!」
「……」
「まだ怒ってる?」
本当は最初から怒ってなんかいない。ただ、混乱してどうしていいか分かんなくなっただけで。今だってあっさり謝られてしまって、ちょっとは怒ったポーズをとって見せた方がいいのか、正直に最初から怒っていないことを伝えたらいいのか、正直に言ったら私の気持ちに気付かれてしまわないかなんてことを考えて、判断に困っているだけなのだ。ドラマのヒロインを参考にしてみようとしてみても、あのお話ではヒロインは足を挫いたから抱っこされたわけだし、おとなしく抱き上げられていたし、そもそも走って逃げ出せるわけがなかったしで、今の私とは全く状況が当てはまらなかった。そんなことを考えている間に仗助くんは私が怒っているものだとさらに勘違いして慌てている。
「軽〜くお姫様抱っこでもしてみればちょっとは仗助クンを見直してくれるかなァ〜、なんて……」
そこで仗助くんはちらりと私を見る。その様子がまるで悪戯をした子どものようで、思わずくすりと笑いが漏れてしまった。私が怒っていないことが分かったのか仗助くんはホッとしたように表情を緩めた。
「どォよ?」
そう言って彼はにかっと笑って見せる。その笑顔にまた私はドキドキしてしまう。お姫様抱っこをする前からずっと仗助くんは私のヒーローだ。
2014.01.31