私は玄関でイワンに抱きしめられていた。

「イワン、これじゃあ動けないよ」

玄関の方からガチャリと音がしてイワンが帰ってきたのかと玄関まで出迎えに行くと「おかえり」と言い切る前にがっちりと抱きしめられた。それは抱きしめるというよりも捕らえると言った方が的確なような気がした。背中に回された腕はぎゅうと私を彼の胸板に押し付けられて少しだけ息苦しい。なんとか作った隙間から息を吸い込みながら、言葉を発するのも精一杯だ。動けないどころかこれ以上後頭部を押さえつけられたら呼吸も出来なくなる。イワンに抱きしめられるのは好きだけれど、これはさすがにつらい。



名前を呼ばれると同時に私を抱きしめていた腕の力が緩んだ。やっと開放されると安心したのもつかの間、今度はその手が私の頬を挟んだ。すっとイワンの顔が近づいてきて私は反射で目を閉じた。キスされると思って身構えたのだが、彼の唇が落ちてきたのは口ではなくおでこだった。

ちゅっというかわいらしい音と額に触れたぬくもりに安心して目を開けると、今度は目尻に唇が落ちてきた。次に両頬にちゅっちゅっと二回ずつ、唇に触れるだけのキスを一回。そして鼻の頭に一回。放っておくといつまでも繰り返しキスをしてきそうな勢いだった。

「イワン」
…」

突然のことにびっくりして思わず彼の名前を呼ぶと、いつもより低めの声で名前を呼び返される。そのまま唇をふさぐかのようにちゅっともう一度キスを落とされた。

「ちょっと、イワン、そろそろ…」

そう言って肩を押すと彼は顔を離して私を見つめた。顔を離すと言ってもまたすぐに触れられる距離だ。こつんとおでこをぶつけられる。

「ダメ?」
「ダメってわけじゃないけど」

悲しそうに眉を下げられるとこっちが弱ってしまう。イワンの悲しそうだったり寂しそうだったりする顔は出来れば見たくないのだ。そういう表情をちらりとでも見せられると強気に出れなくて、すぐ甘くなってしまう。もっとも、今の場合は本当に嫌だったわけではないのだから余計強く言えない。

「良かった」

そう言って綺麗な紫色の瞳を細めると彼は再び私の額にちゅっとキスを落とした。イワンはよくこうして私の顔中にキスを落とす。こういうときの彼は決まって何か言いたいことがあるのだ。

のこと大好きで、大切にしたいってこと伝わればいいなと思って」

そう言うイワンの表情はどこか必死だった。もしかしてイワンは昼間に仕事だと言って家を飛び出したことを気に病んでいるのだろうかと思い当たった。私はいつものことだと全く気にしていなかったのだけれど。きっとそれを言ってもイワンは私が慣れるほどひどいことを繰り返してしまったと思うだろうから黙っておく。

イワンの仕事は忙しくて、休日も突然呼び出されることも多い。けれどもそれは仕事だから仕方がないと私は思っているし、『仕事と私どっちが大事なの?』なんてやり取りをするつもりもない。でも、こうして私が心の余裕を持てているのはやっぱりイワンがこうしてちゃんと想いを伝えてくれるおかげなのかもしれない。愛されていることが分かるから気にならないのだろう。

「ありがとう。私もイワンのこと好き」

そう言って彼の背中に腕を回して頬にちゅっとキスを落とすと、イワンはたちまち真っ赤になってしまった。さっきまで私にキスの嵐を降らせていた人だとは思えない反応だ。自分からするのは平気なくせに、私から抱きつくだけでもイワンは慌てて、真っ赤になってしまう。

そういうところもかわいくて好きだ。かわいいと言うと怒るから言わないけれど。代わりに背中に回した手に力を込めて、今度はこちらからぎゅうぎゅう抱きついてやった。

彼がしてくれるように、私もイワンのこと好きで大切にしたいと思っていることがこれで少しでも伝わってくれたらいいのだけれど。


2011.07.17