今泉くんはそういうことに興味がないのだと思っていた。どちらかといえばクールっぽいし、女の子からモテるのに女の子と遊ぶどころかあまり話さないし、興味があるのは自転車に関することだけだとずっと思っていた。
だから、彼が私の肩をぐっと引き寄せたことにびっくりしてしまった。
「目、閉じろよ」
「えっ、なに、どういうこと? これってまさかそういう雰囲気なの?」
「そういう雰囲気じゃなかったら何なんだよ」
今泉くんの顔がひどく近い。あまりにも突然のことだったから気が動転して、思わず茶化すように言ってしまった。さっきまでいつもと変わらなかった。私がいつものように勝手に今泉くんの部活が終わるのを待って、部室前でひとりになった今泉くんに今日あった他愛もないことを一方的に報告していたところなのだ。別に“そういう”雰囲気というわけではない。それなのに、返ったきた今泉くんの返事はひどく真面目な声だった。
「おまえ、オレの彼女だろ」
「そう、だけれども……」
思わず語尾が小さくなってしまう。今泉くんから彼女だと言われるなんて思わなくて心臓がうるさく鳴る。そうだ、私は今泉くんの彼女だ。彼女だけれども……。
「言いたいことあるならはっきり言えよ」
「じゃあ、じゃあ言うけど、今泉くんって私のこと彼女だって思ってくれてたんだなぁって」
私が思っていたことを口に出すと今泉くんは「ハァ?」と語尾を上げた声を出した。
「おまえが好きだ付き合ってくれってオレに付きまとってきたんだろ」
「そうです……」
彼女だけれども、私が毎日彼を付け回して好きだと言い続けて、最後は今泉くんが根負けしたかのような形で付き合うことになったのだ。そんなだから当然今までキスなんてしたことないし、そんな雰囲気になったことだって一度もない。私が彼女になって変わったことといえば、私が堂々と今泉くんに付き纏えるようになったことくらいだ。彼女だと言っても今泉くんと甘い雰囲気になったことなんか一度もない。手だってちゃんと繋いだことすらない。
それなのにこんな展開。予想していなかったとしても私は悪くないと思う。
「オレのこと好きなんじゃねーのかよ」
「す、すきです……」
いつも言っている言葉なのに、改めて聞かれると恥ずかしい。珍しく照れながら言えば今泉くんが満足そうな表情を浮かべたのが分かった。
「目を閉じろよ」
今泉くんが最初と同じことを言う。でも最初は不満気な声だったのに対して、今度はやさしい声。声はやさしかったけど、目は自転車に乗っているときと同じ、男の子の目だった。どんどんどんどん今泉くんの顔が近付いてきて止まらなくて、どうしたらいいのか分からなくなって、とりあえず言われた通りにぎゅうと固く目を閉じた。
心臓の音がひどくうるさい。本当は、本当は、今泉くんが私に心を向けてくれていることは知っている。部活で忙しい今泉くんが好きでもなんでもない女の子と付き合うようなムダなコトはしないだろうから。だから、私の話を聞いてくれるのも、彼女にしてくれたのも、やさしくしてくれるのも全部全部自惚れてしまう。私があまりにもしつこいから仕方なく付き合ったわけじゃなく、今泉くんもほんの少しかもしれないけど、ほんの少しでも、私のこと好きなんだって。それでも、今泉くんからこんな風に迫ってくるだなんて予想していなくて、キスだって私が誘う……ようなことは出来るとは思えなかったけど、それでもそのうち自然とそういう雰囲気になってするのだろうと思っていた。しかし、私ひとりが今泉くんに纏わりついている今の状態ではそんなのもっともっと先のことだと思っていたのだ。それが今、この場所だなんて――
けれど、いくら待っても何も起こらなかった。待ち構えた感触はない。不思議に思ってそろりと目を開けようとすると、突然ぎゅうと頬を掴まれた。
「いたい!」
驚いて今度こそ目を開けるとそこにはいつもの今泉くんがいた。
「……変な顔」
今泉くんはそう言って笑う。さっきまでの雰囲気はどこに行ったのか、すっかりいつもと変わらない空気だった。さっき私がふざけたときは怒ったくせに。
「帰るぞ」
そう言って今泉くんは私に背を向けてしまう。
「えっ、なんで?!」
「いいから帰るぞ!」
なんで途中でやめちゃったんだろう。そんなに変な顔をしていたのだろうか。そりゃあ元々イケメンの今泉くんに釣り合うような美人ではないことは重々承知しているけれども、改めて言われると気になる。そんなことを考えていると今泉くんは突然ぎゅっと私の手を握ってそのまま歩き出す。私はほとんど引っ張られるようにして後をついていく。
手を繋いでいるのだと理解したのは校門を出てからだった。
「い、今泉くん! 手!」
今まで私を引き離すときとかに掴まれるのは必ず手首だった。こんな風に手を掴まれるのは初めてで、こんなに今泉くんの手が大きいことも今まで知らなかった。意識した瞬間に、触れている指先がひどく熱くなる。
「なんだよ」
「手、繋いで……」
「嫌なのかよ」
「う、うれしいよ!」
彼のやさしさが私に向けられると特別うれしい。きゅうと胸が締め付けられるように苦しくなって、それから今泉くんが好きだなあって気持ちが溢れてくる。今泉くんとこんな恋人みたいなことを出来る日が来るなんて夢みたいだ。想像していたよりもずっとしあわせだ。
「……ちゅーもしてくれたら良かったのに」
調子に乗って私が言えば繋いだ今泉くんの指先がぴくりと動いた。
「おまえなぁ!」
足を止めて振り向いた今泉くんの声が大きいものだからびっくりして思わず繋いでいた今泉くんの手をぎゅうと強く握ってしまった。
「びびった顔してたくせにそういうこと言うんじゃねーよ」
「えっ! そんな顔してないよ」
「してた」
「してない!」
「してた!」
「……本当に?」
反射でしてないと答えたけれども、自信はない。突然のことに頭がパンクしそうになるばかりで自分がどんな顔をしていたのかなんて分からない。
「嘘吐いてどうすんだよ」
「なんか……、ごめん」
いっぱいいっぱいだったのが恥ずかしい。今泉くんは余裕だったのに……。あまりにも私がいっぱいいっぱいな顔をしていたから今泉くんは止めて待ってくれたのだろうか。羞恥で俯くと、先を歩く今泉くんに手をぐいぐいと引っ張られた。今泉くんは背が高いからか歩くのも私よりずっと早い。
「次は止めないからな」
その言葉に私は勢いよくコクコクと頷いた。前を歩いている今泉くんに見えなかったはずだけどそれは伝わったらしかった。少しだけ今泉くんの私の手を握る力が強くなる。自分は今泉くんの彼女なんだということが改めてじわじわと実感されてまたひどく頬が熱くなった。
2014.02.09
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