「君はそんなに僕の邪魔をしたいのか」

ホームズのため息混じりの呆れた声。デスクの向こうから彼はチラリと私を見やった。

「もうすぐ依頼人が来るんだ。帰ってくれ」

彼は明らかに迷惑がっている。それはよく分かっているのだけれどもそれでも私はこの部屋の来客用ソファから動かずにいた。

「私だって依頼人じゃない」
「元、依頼人だ。君の事件はもう解決しただろう」

彼の言う通り、三ヶ月前に私の依頼した事件は目の前にいるホームズ本人が綺麗さっぱり解決してくれた。警察に言っても笑われるばかりで相手にされなかったものを、彼は一週間もしないうちに謎を解いてしまったのは未だ記憶に鮮明に焼き付いている。それがきっかけで私はちょくちょくこのアパートを訪れるようになった。忘れるはずがない。

「私も一緒に話聞いて手伝う!」
「即刻帰りたまえ」

間髪入れずにそう返される。もう少し間を置いて会話してくれても罰は当たらないんじゃないかと思う。

「まぁまぁホームズ、いいじゃないか」
「彼女がここにいて何か僕の役に立てるのか?」
「ホームズ……」

見かねたワトソンが取り持ってくれたけれども、ホームズの正論の前にすごすごと退却するしかなかった。ホームズの言うことは正しい。彼らのようにハリントン学園の生徒ですらない私が探偵の仕事を手伝えるとは思えない。せいぜい荷物持ち程度だ。しかもホームズもワトソンも根が紳士だから、女の子である私が彼らの荷物を持つことを絶対に良しとしないだろうことも分かっていた。ワトソンは力持ちだからそもそも荷物持ちが必要だとは思えない。つまり私はまるっきりの役立たずなのだ。それは自分でも分かってる。それでも引き下がれなかった。

「でもでも! 素人だからこそ意外な証拠に気が付いたりして?」
「僕より早く君が証拠を見つける? そんなことがありえるのなら是非見てみたいね」
「うっ……!」

思わず呻くとホームズは勝ち誇った顔をする。私がどんなに頑張ったってホームズに口で勝てやしないのだ。それでも私だって今回ばかりはあっさり引き下がるわけにはいかなかった。

「……次の依頼人は女の子?」
「そんなことを聞いてどうするつもりだ? 答えたところで碌なことにならない。そんなことは目に見えている」

本当はホームズの言う通り、私は邪魔をしにきたのだ。今日やってくるという依頼人がどんな人なのか確認して、年若い女性だったら見張るつもりだった。きっかけはワトソンが何気なくこぼした言葉だ。『この間の依頼人はかわいい女の子だったなあ』という言葉を聞いて私は居ても立ってもいられなくなってしまった。もし依頼人としてやってきた女性がホームズに惚れてしまったらどうしよう。それもすっごくすっごく可憐な乙女が彼に迫ったら……。何度かワトソンに相談したのだけれど『それはないと思う』と切り捨てられてしまった。どうしてないと言い切れるのか。ありとあらゆる可能性を考慮するのが探偵ではないのか。現に私はホームズのところへ依頼人としてやってきて、好きになってしまったのに。

「彼女に余計なことを吹き込んだのはワトソンくん、君か?」
「俺は何も……!」

ワトソンは否定したけれども百パーセント君のせいだ。

自分でも単純だと思う。事件を解決してもらって、それで惚れてしまうなんて。いくら助けられたといっても、彼はこれが仕事だ。それは分かってる。分かっていても彼の見え隠れするやさしさに惹かれてしまった。ここ、ベイカー街に通うようになってからもっと好きになってしまった。

初めの方は知り合いの事件を持ち込んだりしていたのだけれども段々それも尽きて、最近ではワトソンやアパートの管理人であるハドソンちゃんとも仲良くなったのをいいことにただお茶を飲みに来る日も多い。そんな風に入り浸るうちにすっかりここが居心地良くなってしまった。

「ごめん、ホームズ達は仕事なのにこんなこと言って。事件解決頑張ってね」

見たこともない依頼人の女性に嫉妬するなんて馬鹿らしい。頭では分かっているのに。そもそも、私は学園に通うホームズだって知らないし、そんなことを気にし出したら切りがない。だけれども、バカな私はこの不安を解消するためにひたすら行動するしかないのだ。

けれどもきっとこれ以上は本当にホームズを苛つかせてしまう。依頼人と鉢合わせてしまう前に帰ろうと鞄を持って立ち上がったときだった。

「会計士だ」

あまりにも唐突に、あまりにも早口で言うものだから始めは何のことだか分からなかった。

「次の依頼人は会計士の男性だ。おそらく四十代。これで満足か」

そこまで言われて初めて彼が私の問いに答えてくれたことに気が付いた。驚いて顔を上げるとホームズとばっちり目が合ってしまった。

「満足したのならもう帰りたまえ」

しっしっと犬を追い払うかのようにホームズは手を振ったけれども、私はそんなことお構いなしに身を乗り出した。あのホームズが折れて答えを教えてくれるなんて思わなかった。

「また来ても良い?」
「……依頼人が来る予定のない日なら構わない」

もう来るなと言われると思っていたから彼の言葉にさらに驚いた。今までワトソンやハドソンちゃんがお茶に誘ってくれることはあっても、ホームズから声を掛けられることなど一度もなかった。私がやってくれば苦い顔をしていたのに、妥協するような言い方とはいえ、来てもいいというお許しが出るなんて明日は空から槍が降るかもしれない。彼ならば、こんなことを言えば私が今まで以上に調子に乗って会いに来ることが分かるだろうに。

予想外のことに私がぽかんとしているとホームズは立ち上がり、私の背をぐいと押して出口へ促す。私は抵抗することも忘れてしまった。

「君のような物好きな依頼人はそうそういないから安心したまえ」

これは、少しは調子に乗っても良いと言うことだろうか。

「明日も来ても良い?」
「……夕方なら空いている」
「明後日は? 明々後日は? その次も来ても良い?」
「調子に、乗るな!」

ついにホームズは鞄を押し付けて私を部屋から追い出してしまった。そんなこと言われたって扉が閉まる直前に振り返って見えた彼の口元は少し緩んでいたように見えたから、彼のやさしさに甘えてきっと私は明日も明後日もその次の日もベイカー街に来てしまうだろう。アパートの階段を降りる私の足取りは自然といつもよりずっと陽気なものになっていった。

2014.05.30