あなたのことが好きで、あなたばかりを見ていました。あなたは気付いていないだろうけど。

「なんだ君はまだ探偵を名乗っているのか」

事務所の扉をくぐると、ここの主は開口一番そう言った。私は少しムッとしたが、いつものことなので軽く聞き流す。彼は自分以外の探偵を認めないのは最初から分かっていることだ。彼の言う通り私は探偵を名乗っている。生活は厳しいけれども、事務所も持っているきちんとした職業探偵である。

「こんにちは榎木津くん、お邪魔するわね」
「まだ名乗ってるんだな」

今日の彼はやけに突っかかってくる。益田くんも和寅くんも出かけているのか部屋には榎木津礼二郎ただひとりが「探偵」と書かれた三角錐の置かれた机に脚を投げ出して座っていた。彼は呆れたように目を半眼にして私を見た。

「そうやって寒空の中何時間も突っ立っているのが探偵だと言うのならば、君は探偵なんて今すぐやめるべきだ!」

どうして私が昨夜張り込みをしていたことを知っているのだろう。そのお陰で少し風邪を引いて鼻の頭が赤かったから?そんな些細なことから彼は推理したのだろうか。探偵小説でもあるまいし、まさか。そんなことを考えている間にも彼は続ける。

「女の子のやることじゃあない」

女には向かない職業だ、と言いたいのだろうか。さらに彼は女の子は温かい家の中にいるべきだと主張した。どうせそのあと探偵は神の職業だとかなんとか意味の分からないことを言うんでしょう。そうやってはぐらかすんでしょう。どうせ結局は皆女に探偵なんか無理だ、やめろと言うんでしょう!

「女の子は元気なのも良いが君はもう少しおしとやかになれないのか」
「うるさい!」

榎木津くんにお説教されるなんて!確かに私はおしとやかとは程遠い。おしとやかだったら女探偵なんてやっていないだろう。おしとやかになりたいと思ったことすらない。けれども榎木津くんに“誰か”と比べられるのに耐えられなかった。

きっと榎木津くんはおしとやかな女の子が好きなのだろう。

そう思うと心臓にまるでナイフが突き刺されたかのような痛みが走った。ナイフを突き立てられた経験なんていくら私が探偵と言ってもないけれども。そんな探偵小説のようなことに巻き込まれたことはない。それどころか殺人事件のような大事に巻き込まれたことすらない。“普通”の探偵だ。

榎木津くんは誰か特定の人物を思い出しているのだろうか。きっと榎木津くんには想い人がいて、その子は私と正反対のおとなしいほわほわした子なのだろう。きっとこんな風に榎木津くんと喧嘩することもない。ふと女優の誰某を思い出した。名前は忘れた。映画で一度だけ見たことのある女優。その映画の中で彼女はほわほわした女の子の役を演じていた。それが彼女の地なのかどうかは分からないが、結構役にはまっていたと思う。きっと榎木津くんは彼女みたいな女の子が好きだ。そういえば以前知らない女性と一緒に歩いている彼を見た。そのときは何とも思わなかったが、あれは本当は恋人だったのだろうか。女の直感だと言ったら笑われるだろうか。榎木津くんには恋人がいる。

「君は本当に鈍い!」
「榎木津くんに言われたくないわ!」

これは完全に負け惜しみだった。これほどまでに自分の理解力の低さを嘆いたことはない。今まで自分は頭が良い、否、頭の回転が速い人間だと思っていた。それが榎木津礼二郎と出会って打ち砕かれた。榎木津くんは頭の回転が速いと言うよりもまるで最初から答えを知っているかのように思えるときがある。私なんかとは比べ物にならないほど頭の良い人間なんだと思った。私とは次元が違う。

「どうして分からないんだ」

絞り出すように彼が言った。それはまるで彼に似つかわしくなかった。そうさせたのが他ならぬ私だと思うと少しの優越感を感じるとともに激しい自己嫌悪に襲われた。「もういい」そう小さく呟く。

「なんだ僕に用事があったんじゃないのか?」
「もういい、帰ります!」

本当に大した用事なんてなかった。榎木津くんにただ会いたかっただけ。でもそれじゃあ格好が付かないから後付けに無理矢理用事を作ったにすぎないからどうでもいい。帰る、と子どもみたいに半分叫びながら席を立つと「まるで子どものようじゃあないか」と今度は何だか楽しそうな彼の声がした。なんなの、何なの何なの何なの!そうやってあなたはすぐ笑顔を見せる!

榎木津くんの言う通りだ。私は榎木津くんのことをこれっぽっちも理解できていないのだと思う。もし、あと少しだけ私が榎木津くんと出会っていたのが早かったのなら何かが変わっていただろうか。もっと一緒にいる時間が長かったなら。そう、例えば学生時代に出会っていたのなら。もっと遡って私と彼が幼馴染だったなら。私は彼をもっと理解できて、彼は私をもっと信頼してくれただろうか。もしも私がもっと頭の良い人間だったならあなたを苛つかせることもなかったのに。

そんな沢山の“もしも”を思う。

もしも魔法が使えたならあなたを喜ばせるために使うのに。もしも空が飛べたのならいつだってあなたが呼んだらすぐに行けるようにするのに。もしも透明になれたのならあなたが面白がるような悪戯を沢山するわ。もしも時間が止められるのならその間ずっとあなたと一緒にいる。もしも私がカミサマだったなら。

もしも私がカミサマだったなら、あなたの隣にいることを許されたのかな?

  「榎木津くん、おしあわせにね」

なんて言えるわけないじゃない。

何故だか涙が出そうだったから私は部屋を飛び出し扉を閉めた

カナシキヒステリックガール