「わっ!」
短い叫び声とともに、バランスを崩したロナルドさんがこちらへ倒れ込んできた。受け身を取ることも出来ないまま、彼は私の胸元に飛び込んできた。手を着こうと反射的に前に出した手は、彼の顔の横に添えられている。ぐっと彼の指先に力が込められた感触がした。
「ギャーー!!」
次の瞬間、パシーンと乾いた音が新横浜の夜に響き渡った。
*
「最悪……消えてしまいたい……」
「アハハ、あんな綺麗なもみじ模様は初めて見たよ! 君、才能あるんじゃない?」
ベンチに座って頭を抱える私とは対照的に、ドラルクさんは大きく口を開けて笑い続けている。
新横浜の街中に突如現れた下等吸血鬼は無事退治され、VRCに引き渡された。その際、かすり傷を負ったロナルドさんも同行することになった。VRCの親切な職員さんに、吸血鬼にやられた傷と一緒に腫れた頬も治療してもらえていることを願う。
「驚いたにしたって、もっとかわいい反応があったはず……」
「確かに。あれは本気の拒絶に見えたものねぇ」
「う゛っ……」
悲鳴も『キャー』ではなく『ギャー』だったし、手を出すなんて最低の中の最低だ。もっと身を丸めて恥ずかしがるとか、軽く押すとか、他に色々あったはずだ。彼に悪気はなかったのだから。
でも、本当にあのときは頭が真っ白になってしまったのだ。手のひらで触れられたら、さほど大きくもない胸がバレると思って。
「保身のために最低なことをしました……」
「まぁ、身を守るための咄嗟の行動だから仕方ないさ。ラッキー料としてロナルドくんもあのもみじ模様を甘んじて受けるさ。いや、むしろあと二、三発引っ叩いてやっても良いくらいかもしれん」
「それはさすがに」
ロナルドさんも悪気はなかったのに。片思いの相手にあんなことをしてしまうなんて、嫌われても仕方ない。嫌いとまではいかなくても、印象がプラスになることはないだろう。
俯くと、ジョンくんが「ヌヌー?」と膝を撫でて慰めてくれた。もうやってしまったことは巻き戻らない。これからどうやって挽回するかが重要なのは分かっていた。
「おっと、ロナルドくんが帰って来たみたいだよ」
ドラルクさんの声に顔を上げると、向こうから赤い衣装を着た人物が歩いてくるのが見えた。
まだ顔を合わせるのが気まずくて、どこか身を隠せる場所がないかと左右を見渡している間に、ロナルドさんがすぐ目の前までやってきていた。
ドラルクさんはいつの間にか姿を消していた。
「あの……」
ロナルドさんの左の頬には湿布が貼ってある。ちゃんと手当てをしてもらえたらしい。それでも湿布からはみ出て見える赤い皮膚に罪悪感が募る。
「ロナルドさん、すみませんでした!」
腰を直角に折り曲げ、頭を下げる。
「えっ、いや、謝るのは俺の方で……! 事故とはいえ、あなたに不快な思いをさせてしまって。本当にすみませんでした!」
するとロナルドさんの方も同じように深く頭を下げて謝罪した。ふたりして頭を下げている変な空気に堪えきれず、顔だけ上げると、同じように顔を上げたロナルドさんと目が合った。
「あ、はは」
「ふふっ」
思わずふたりして笑い声が漏れる。彼のこういう誠実なところが好きだなと思う。お互い謝って、最後は笑い合って元の関係に戻れるところも。彼のやさしく細められる青い瞳に私が映っている。それだけで、とてもしあわせなことのように思えた。
この和やかな雰囲気のまま帰ろうと、一歩歩き出そうとすると、足がもつれた。そのまま目の前のロナルドさんの胸へ倒れ込む。
「ギャオワーー!!」
新横浜の街に今度はロナルドさんの悲鳴が響き渡った。
2023.02.05