「新装開店でーす。よろしくお願いしまーす」

 目の前に差し出されたポケットティッシュをつい思わず受け取ってしまった。春の寒暖差だか花粉だかですっかりやられた鼻にはありがたい。
 無意識のうちに退治人ギルドやロナルド吸血鬼退治事務所の方へ向かいそうになっている足を無理矢理方向転換させる。駅ビルで買い物でもしようかとも思ったけれど。

「いや、やっぱまっすぐ帰ろ……」

 街はバレンタインが終わり、ホワイトデーも終わり、今は桜モチーフの商品で溢れている。あとは入学、新生活アイテムだろうか。
 ホワイトデーにお返しは期待していなかった。バレンタインのチョコはほとんど私がロナルドさんに押し付けたようなものだったし。お返しがほしくて渡したわけじゃないし。
 でも風の噂でロナルドさんがドラルクさんと一緒にお返しを皆にお菓子を配って回っていると聞いて、私の心は平静ではいられなかった。義理チョコだとか友チョコとかにお返しするのなら、私のド本命チョコにお返事くらいくれたっていいのに。そう思うのと同時に、返事がないことが何よりの答えだということは、頭の片隅ではちゃんと分かっていた。
 ホワイトデーはもうとっくに過ぎたし。ずっとロナルドさんに会えていないし。もしかしたら避けられているのかもしれないとも思っている。かく言う私も、これまでのように積極的に彼に会いに行こうとしていない。
 ――だから、家の前に赤い上着を着た人物が見えたときは、私の願望の見せた幻ではないかとさえ思った。

「ロナルドさん!?」

 彼の名前を呼びながら、心臓が口から出てしまうかと思った。私の声に彼が顔を上げる。帽子の影から彼の青い瞳が覗く。その瞳は私の姿を捉えるとぱっと輝いて、そしてすぐ不安そうに揺れた。

「すみません、急に押しかけて……。大した用事でもないのに連絡するのはどうかなと思って来ちゃったんですけど、勝手に家の前で待ってるのも十分迷惑ですよね、ハハ」

 そう言って彼が頬を掻く。
 ぱちくりと、何度瞬きしても彼の姿は消えない。こっそり手の甲をつねってみたけれど、ちゃんと痛い。夢じゃない。
 でも、彼がこうして私の家の前で待っている理由がまったく分からなかった。だって、しばらく会っていなかったのに。

「えっと、これ、バレンタインのお返し……」

 差し出されたのはスイーツ店の紙袋と、一本の赤い薔薇。ロナルドさんの退治人服と同じ色だった。その花の甘い香りが鼻をくすぐる。

「ろ……」

 一瞬、言葉を失ってしまった。まるで、恋人に渡すプレゼントのようだったから。熱烈な告白のようだったから。薔薇の花を差し出す彼の姿は絵になっていて、それが自分に向けられているということに頭が追いつかなかった。

「ろ、ロナルドさん、これ皆に配って歩いてるんですか? すごい、律儀ですねぇ」

 何とかまとまった言葉を口に出す。
 きっと彼のイメージカラーと同じ色の薔薇は、ファンサービスのようなものなのだろう。作家業も退治人業も、人気が大事だし。仕事に対してすごく真面目な彼らしい。
 こんなふうにされたら、勘違いしてしまう女の子も多いのではないかと思う。私がそうなりかけたように。これを他の人ももらっているのだと思うと、ぐらりと腹の奥に熱いものが渦巻くようだった。

「皆に配ってないですよ」

 彼が私の手を取って、プレゼントを握らせる。反射的に引っ込めそうになって、彼の手がそれを押さえつける。

「バレンタインのとき、俺が無理矢理チョコもらっちまったみたいなものだったし、こんなんもらっても困るかもとは思ったんですけど。でもドラ公がやりすぎなくらいやれって言うから……って何言ってんだろ、俺。クソ砂は今関係なくってですね……! でもジョンもそうした方がいいって言ってたし……!」

 握られた手のひらが熱い。頭もぐらぐらと沸騰しているかのようだ。

「つまり、何を言いたいかと言うとですね……!」

 そう言って彼がぎゅっと手を握る。青い瞳が真っ直ぐにこちらを射抜いて、視線が逸らせなくなった。
 彼の唇がゆっくりと動く。

「好きです」

 彼の瞳も熱で浮かされたように濡れている。街灯の明かりが、彼の顔を照らして睫毛の影を作っていた。
 春のほのかにあたたかい風が、私の頬を撫でる。

「絶対に大切にします。だから、俺を選んでくれませんか?」

2022.03.31