今日も新横では吸血鬼が騒ぎを起こしていた。
 何をしたのか分からないけれど、ひとりの吸血鬼がロナルド吸血鬼退治事務所一行に追い詰められているところに、ちょうど私が偶然通りかかったのだった。

「観念しやがれ!」

 そう言ってハエ叩きを振り上げたロナルドさんの一撃がヒットして、この騒動も終わると思えたそのとき。
 ――突然強い光に目が眩んだ。
 思わず腕で目を覆ったけれど、その光はすぐに止んだ。

「あのやろ、逃げやがった!」

 ほっと息をつくと、やけにロナルドさんの声が近くに聞こえる。本当にすぐ真上から。おかしいなと思いながら顔を上げると、今まで見たことないくらい近くにロナルドさんの顔があった。

「ぎゃ!」
「えっ?」

 気が付くといつの間にか私の腕は彼の背中に回されていて、彼の腕も私の腰の辺りに回っていた。つまり、簡単に言えば抱き合っているような状態で。

「ななななんで、抱きつ……!?」
「さっきの吸血鬼の能力だろう」

 すっかり焦る私たちに、そばにいたドラルクさんが冷静なツッコミを入れる。
 確かに、何か光のようなものに目が眩んだあと、気が付くとこうなっていた。先ほどの吸血鬼が去り際に何か催眠をかけたのだと思えば納得がいく。離れようとしても私の腕は勝手に彼に抱きついたままどうにもならないこの現象にも。

「すみません!」

 そう言うロナルドさんの顔は真っ赤だ。多分、それに負けず劣らず私の顔も真っ赤になっている自覚はある。片想いの相手に意図せずくっついてしまって、ドキドキしないわけがない。
 ロナルドさんの厚い胸板も、背中に触れる彼の大きな手のひらも、体温も全部ぜんぶ意識してしまう。

「今すぐ追いかけてボコボコに――」
「その状況でどうやって追いかけるつもりかね?」

 離れようと力を込めて足を踏ん張っても、磁石のように強い力で引き寄せられてしまって叶わない。彼の背中の服を掴んで引っ張ってみてもダメ。背中を思いっきり反らせようとしてもダメ。

「ひゃ……! ロナルドさん、動かないでください!」
「す、すみません! あの、でもこれは決してわざとじゃなくって……!」

 私たちふたりがうんうん唸りながらあれこれ試していると、ドラルクさんの笑い声が聞こえた。
「ここは私が彼を追いかけよう。ま、とは言えこの私なので少〜し時間が掛かってしまうかもしれないが、大丈夫! 君たちふたりはこのままゆ〜っくり待っていたまえ」

 ドラルクさんの声はどこか弾んでいた。この上なく楽しいものを見つけたとでも言うように。私からは彼の顔は見えないけれども、いつもみたいに口角を上げてにんまりと笑っている表情が想像出来た。

「おい、待てドラ公、置いていくな! ジョーン!」

 ロナルドさんの悲痛な叫びが聞こえる。手が私の体にくっついていなければ、腕を伸ばしてドラルクさんの服を掴んで引き留めたかったに違いない。
 まともに動けないこの状況でドラルクさんが退治に動いてくれたのは頼もしい。頼もしいのだけれど、この体勢でロナルドさんとふたりきりも気まずい。
 不可抗力とはいえ、ぎゅっと抱きついていると彼の心臓の音がドキドキ鳴っているのが聞こえる。多分同じように私の心臓の脈打つのも彼に全部バレてしまっているだろう。

「えっと、困っちゃいましたね?」

 彼を見上げると、ひどく険しい表情で口を引き結んでいた。困っちゃいましたね、なんて言葉は少しお気楽すぎたかもしれない。彼からしてみれば、私が引っ付いている間は戦えないわけだし。きっと本来ならドラルクさんと一緒に自分で迷惑吸血鬼を退治したかったに違いない。
 それに、恋人でもない私に抱きつかれて彼はどう思っているのか――

「とりあえず事務所……は、まずいんで、ギルドに行きましょう」
「事務所ダメなんですか? 事務所の方がここから近いと思うんですけど」

 動きづらいし、目立つからなるべく近い場所の方がいいんじゃないか。それにこんなふうにくっついている姿をギルドにいる退治人の皆に見られるのが恥ずかしいという気持ちもあった。

「いや、あの……この体勢でふたりきりは色々まずいと思うんで……」
「あっ! はい! ですよね!! ギルド! ギルドに行きましょう!」

 慌てて彼の意見に賛成する。そんなことにも気が付かず、子どもっぽい質問をしてしまった。彼がここまで気を回してくれていたのに、私ときたら呑気なことばかり考えていて恥ずかしい。
 彼は人気商売だし、変な噂が立つのも困るのだろう。

「あの、腕を俺の首に回せますか?」
「はい。こうですか?」

 どうやらくっついていればある程度自由に動かせるようだった。上を向くと顔を隠せないので恥ずかしかったけれど、早期解決のため大人しくロナルドさんの言うことに従う。
 彼の首に腕を回すと顔がさらに近くなって、またドキドキと心臓がうるさくなる。彼の髪の先が私の額をくすぐる。堪えきれずにぎゅっと強く瞼を閉じた。

「失礼します」

 そう言って彼の手が私の体を這って背中と膝裏に回る。

「えっ、ちょっと待って、ロナルドさん……!」

 ふっと足の裏が地面から離れて、思わず短く声を上げながら彼の首にしがみついた。

「しっかり掴まっててください」

 そう言って彼がぐっと私の体を引き寄せる。

 抱きついたままでは歩けないから、こうして移動するのが一番良いことは分かる。分かるけど、往来をいわゆるお姫様抱っこで運ばれるのは恥ずかしい。
 ロナルドさんの胸に顔を押しつけて隠したけれども、今度は彼の体温だとか匂いだとかを感じてしまってどうしたら良いのか分からなくなってしまった。


 その後、せっかく辿り着いたギルドからも何故だか追い出されてしまい、結局事務所で催眠が切れるのをふたりで待つ羽目になったのはもう少しあとの話。

2022.02.12