カンカンと、ヒールが階段を叩く音が響く。

「あいつが上って来れるなんて聞いてない!」

 私の後ろには下等吸血鬼。帰り道、うっかり下等吸血鬼と目が合ってしまって、そのせいで獲物としてロックオンされてしまったらしい。名前は知らないけれども、羽もなく地面を這うように移動しているそいつは階段の上まではやってこれないと思って、近くにあった適当な建物の非常階段を上ったのにまだ追いかけてくる。心なしか、平坦な地面より速い気がする。
 満月と街の明かりはあるけれども、非常階段を駆け上がるにはいささか心許ない。
 運良く辿り着いた屋上だったけれど、ここまで下等吸血鬼は追いかけてきた。

「ひっ……!」

 思わず引き攣った声が漏れた。
 何とか逃れないかと思ったけれど、あいにく武器になりそうなものは見当たらない。鉄パイプとまではいかなくても、箒くらいあれば殴り倒してやれるのにと思ったが仕方ない。私にはただ逃げることしか出来なかった。
 屋上を駆けずり回っていると、いつの間にか角に追い詰められていた。後ろを見ると、高層ビルでもないのにひどく遠くに地面が見えた。

「大丈夫か!?」

 地上から聞こえてきた声にハッとして見ると、銀の髪と赤い服。

「ろ、ロナルドさん……!」

 退治人が来てくれた――ほっとしたのも束の間、下等吸血鬼はすぐそこまで迫っている。彼が今から屋上まで上ってきても間に合わない。

「飛び降りて逃げろ!」
「普通の人はこの高さから落ちたら死ぬ!」

 ロナルドさんなら、なんか壁を蹴ったりして上手く着地出来るのかもしれないけれど。私は死ぬ。絶対死ぬ。

「大丈夫! 受け止めるから!」

 下を見ると、今まで聞こえなかったヒョオと風の吹く音が聞こえた。冷たい夜の風が身を切る。

「俺を信じろ!」

 ロナルドさんのまっすぐな声。
 じり、じり、と下等吸血鬼はこちらににじり寄ってくる。もう逃げ場はない。
 ――ロナルドさんがそこまで言うのなら飛び降りてみせようじゃないか!

「ちゃんとキャッチしてくれなかったら一生恨みますから!」

 そこで一度言葉を区切り、目を閉じて深呼吸する。

「ちゃんと受け止めてくださいね!」

 そう叫び返して、思い切り地面を蹴った。ヒュっと風を切る音が聞こえる。浮遊感を感じている余裕はない。目をぎゅっと瞑って、なるべく手足を縮こませて。
 一瞬ののちに、背中に軽い衝撃を感じた。

「もう大丈夫だ」

 その声に目を開けると、青空色の瞳がやさしく私を見つめていた。
 ……どうやら無事生きているらしい。

「よしよし、よく頑張ったな」

 そう言って彼が私の頭を撫でる。彼の声と手のひらに、張り詰めていた気持ちが解けていく。先程までアドレナリン全開だったとはいえ、すごい勇気だ。
 いつの間にか周りには人が集まっていて「大丈夫かー?」と声を掛けてくれていた。中には見知った退治人や吸血鬼の顔がいくつもあった。知らない間に結構な騒動になっていたらしい。

「ロナルドさんのこと、信じてましたから」

 ナイスキャッチです。私がそう言ってみせると、彼は一瞬目を丸くさせたあと、ふっとやさしく微笑んだ。

2021.12.20