仕事帰り、ニホンオッサンアシダチョウに追われた。

 残業でクタクタに疲れていたからちょっと近道しようと思っていつもは通らない脇道を行こうとしたのが間違いだった。道の脇の植え込みからニホンオッサンアシダチョウの群れが飛び出てきて、思わず悲鳴を上げて逃げ出したものの、大声に興奮したダチョウたちが追ってくる事態となった。河川敷に建っていた小屋に逃げ込んだまでは良いものの。

「えっ、ウソ、開かない!?」

 ダチョウたちの気配がなくなったので出ようと思ったらドアが開かなくなっていた。

「だれかーー! いませんかーー!!」

 出来る限りの大声を出したあと、ドアにぴたりと耳を付けて外の音を聞く。けれども外はシンと静まりかえっていて、かすかに川のせせらぎが聞こえるくらいだった。

「そうだ、電話! って、充電切れ!?」

 スマホを取り出すと赤い電池マークが一瞬見えて、そのあとすぐに真っ暗な画面のまま動かなくなってしまった。

「……仕方ない、ドア壊すか」

 緊急事態だ。広くない部屋の中で出来るだけ助走距離を取る。勢いをつけてドアに体当たりする。

「いったぁ……」

 思いっきり当たった肩が痛い。ドラマとかだと男の人が簡単に扉を破ったりするから私にも出来るんじゃないかと勘違いした。よく考えればドラマでも大の男が数人がかりで壊していたような気がする。でも、なんかボロそうな小屋のドアだし、私でも出来ると思ってしまっても仕方がないのでは。私は何も悪くない。

「助けてー! 誰かーー!!」

 早く帰ってあったかいご飯を食べてシャワーを浴びて寝たかっただけなのに。
 そもそも私がニホンオッサンアシダチョウに追われて大きな悲鳴を上げて走っているときも、声を聞いて助けに駆けつけてくれる人はいなかったのだ。元々人通りがほとんどない場所で、閉じ込められた私に気付いてくれる確率はどれくらいだろう。
 私はそれほど悪いことをしただろうか。

「助けて。……ロナルドさん」

 思わず名前を呼んでしまった。
 それは誰にも届かない呼び声だったはずなのに。

「ここにいるのか!?」

 初めは幻聴かと思った。あまりにも心細すぎて、心に浮かんだ人の声が聞こえたのかと。けれども「おーい、いたら返事してくれ!」という声とともにドンドンと目の前のドアが叩かれて、これが現実なのだと気が付いた。

「ロナルドさん!?」
「うお、ドア開かねぇ! ちょっと下がっててください。今壊すんで」

 ドン、ドンと銃声が響く。そのあとにギッと鈍い音がして、扉の隙間から光が差し込んだ。

「遠くでニホンオッサンアシダチョウに襲われてるのが見えて。追いかけたけど途中で見失っちゃって……すみません」

 彼の姿が月明かりに照らされていた。私はそれを座り込んだまま茫然と眺めていた。彼の髪が夜風に揺れ、銀色がきらめく。

「怪我はないですか!?」
「ない、です」

 彼の視線が私の手足を検分していく。ダチョウに突かれて多少の擦り傷はあるかもしれないし、先ほどドアにタックルした肩はまだ少し痛むけれども、それだけだ。

「見つけられて良かった」

 本当に、呼んだら来てくれた。
 遅れて実感が湧いてくる。彼がここに来てくれた事実に驚いて瞬きをすると、ぽろりと何かが頬を伝った。

「――って、泣いて!? 怖かったですよね? もう大丈夫ですから!」
「ごめんなさい、これは違うんです。ロナルドさんが来てくれたから感動したというか、なんか、安心しちゃって」
「……はい、俺が来たからもう大丈夫です」

 一粒。瞬きの拍子に落ちたたった一粒の涙だったのに、まるで泣きじゃくる相手をあやすようにやさしい声だった。彼の大きな手のひらが私の頭に乗せられる。
 これはどちらかといえば嬉し涙だったと思うのに。

「ロナルドさんは本当に頼りになりますね!」

 にっと笑ってみせる。
 最低最悪の夜は終わり、やさしい夜がやってくる。

2021.12.14