「ロ、ロナルドさん! どうしたんですか、うちの会社の前で……」

 残業が終わり、疲れ切った体でエレベーターを降りるとビルの前に恋人が立っていたものだから驚いた。
 彼はマフラーの中に顔を半分埋めて植え込みの前に所在なさ気に立っていた。私が名前を呼ぶとこちらを見てぱぁっと瞳を輝かせる。
 会社まで来るなんて何かあったのかと携帯を確認してみたけれど通知は何も入っていない。

「……迎えに来た」

 コートのポケットに手を突っ込んでわずかに視線を逸らす彼の鼻先は少し赤くなっている。どれくらいの時間待っていてくれたのだろう。知らずに結構な時間残業してしまった。

「あ、ありがとうございます」

 何だか恋人っぽい雰囲気を感じて顔が熱くなる。私も会いたいなと思っていたから。彼もそう思ってくれていたらいいなと思いながら、彼の顔をちらりと見ると私と同じように赤く染まっていた。

「ロナルドさんは、今日のお仕事は?」
「二件終わって、今日はもう依頼ないから」
「そう、なんですね」

 夜に入る退治の依頼も多い彼にしては珍しかった。

「今夜も冷えますね」

 はぁ、と手に息を吹きかけてこする。吐き出した息もすっかり白い。キンと空気が張るように冷えて、日が暮れてから歩くのがつらい季節になった。
 何気なく言った言葉だったのに、それを聞いた彼の顔がサァと青ざめた。

「俺のマフラーも使って……!」
「えっ、いや、大丈夫です! ロナルドさんの方が待っていて寒かったでしょう?」

 寒い中で待たせていた私の方が何か貸すべきなのに。あいにく今日はカイロも持っていなかった。

「じゃあ、こっち……」

 その声に顔を上げると、彼がおずおずと手を差し出す。

「たぶん、俺の手あったかいと思う」

 そう言って私の手を彼の手が包む。確かにあたたかい。でもそれ以上に何だか恥ずかしくなって体温が上がった気がした。

「じゃ、早く帰ろうぜ」

 立ち止まっている私たちをちらりと見ていく通行人の視線が気になって、そそくさと歩き出す。
 彼のコートのポケットにお邪魔した右手が気になって、それから意識を逸らすように街中をきょろきょろと見回す。見慣れた通勤路のはずなのに、やたら街がきらきらと輝いているように見えた。明かりの消えたショーウィンドウの中のワンピースもバッグも全部素敵に見えてしまう。

「あの服かわいい」
「……俺、買おうか?」
「えっ、今!? 買わなくて大丈夫です!」

 ちょっと良いなと思っただけで、自分が着るとかは考えていない発言だった。そもそもお店も閉まっている。
 彼の声色から本気の気配を感じ取って慌ててショーウィンドウの前から彼を引き離す。

「あ、ほら、それよりあの期間限定のフレーバーおいしいらしいですよ!」

 カフェの店頭に出ている看板を指差して言う。おいしいと皆飲んでいるのをSNSで見た。冬はおいしそうなメニューが沢山出る気がする。
 半分は彼の気を逸らせるための話題だったのに。

「飲む? 俺買って来るから待っ――」
「だい、大丈夫です! 本当に!」

 そわそわと瞳を輝かせて飛んでいってしまいそうな彼を、繋いだままの手に力を込めて引き止める。彼と帰り道にお茶をするのも楽しそうだけれど、そうしたらこの手を一度離さなくてはならない。せっかく彼が差し出してくれた手を今はまだ離したくなかった。

「でも……」

 そう言って口を尖らせる彼は分かりやすく不満そうだ。相手に何かをしてあげたくなる気持ちは分かる。私も今まさにそう思っているから。

「じゃあひとつだけお願い聞いてください」
「何でも!」

 彼が前のめりに答える。“何でも”と言われると何をお願いしようかちょっと悩んでしまう。
 でも結局は彼に一番に望むことはひとつしかないのだ。

「うちに着いたら、上がってお茶飲んでいってください」
「……! もちろん!」

 彼がパァと花の咲くような笑顔を零す。
 寒い冬の夜は、もう少しだけ長く彼と一緒にいたかった。

2021.12.05