きっと、私は今おかしくなっている。
「ロナルドさん、好きです」
言葉がするすると出てくる。いつもは色んなしがらみに捕らわれて言えない言葉も今なら言える。頭の中はもやがかかったようにぼんやりして、ただひとつのことしか分からない。彼が好きだということだけ。
何も考えられないまま彼に視線を向けてにこりと微笑めば、ロナルドさんの大きな両手が私の手を包む。
彼の唇が動く。
「俺も、あいしてる」
彼の瞳が熱っぽくこちらを見つめている。『あいしてる』と言ってもらえて嬉しい。私も返したい。この胸の中にあふれる気持ちを彼に余すことなく伝えたい。そのための言葉を探して、でもどの言葉も一言ではとても伝えきれそうになくて、自分でも制御出来ない感情にぽろりと涙が落ちた。
バチン、と。
「――っ!」
急に頭の中のもやが晴れて、物事が考えられるようになる。自分が今まで吸血鬼の催眠術にかけられていたことも瞬時に理解した。
「ひゃ……」
顔を上げると目の前にロナルドさんがいて驚いてしまった。手を握り合って、ほぼ抱きしめ合っているかのような距離の近さに立っている。
――きっとあの吸血鬼は目の前にいる相手を好きになる、惚れ薬のような催眠術を使ったに違いない。
「あのやろ、逃げやがった!」
パッと彼の手が離れる。それを寂しいと思ってしまった。追い縋ろうとした私の右手が空を掴む。
私は最初からロナルドさんのことが好きだったけれど、彼はそうではないのだから当たり前だ。元に戻っただけ。それなのに、彼がもう私のことを見てくれないことが寂しくて仕方ない。退治人である彼はもうこの騒動を引き起こした吸血鬼を退治することだけを考えているのだろう。
「ロナルドさん」
思わず名前を呼んだ私の声にはまだ彼に甘える響きが残っていた。もう催眠術は解けたはずなのに。一度たかが外れてしまった感情は、これまでのように上手く制御出来なかった。
彼の愛を囁く甘い声がまだ耳に残っている。彼のあのとろけるような表情がまだ瞼の裏に残っている。知ってしまったら戻れない。
「あ、すみません、引き止めてしまって。退治ですよね、いってらっしゃい」
何とか笑顔を作って彼を見送る。彼がどういう表情をしているのか見るのが怖くて、そちらをみることが出来なかった。
いくら催眠術がかかっていても、そのときの記憶はしっかり残っているのだ。それを彼が気まずく思っているのか、不本意なことを言わされたことに嫌悪を覚えているのか。それを知るのが怖かった。
「……あとで時間もらえませんか?」
彼の私を気遣ったやさしい声が降ってくる。変な雰囲気になってしまったことに対して彼に気を遣わせてしまっている。
きっと用事というのは今日の被害のことで話を聞きたいとかそういうことだろう。お仕事のためなら仕方ないと自分に言い聞かせて頷く。
「はい、もちろん」
答えると、ぎゅっとロナルドさんが私の手を両手で握った。彼の手は先ほどよりもずっと熱を持っているように思えた。
その熱さに驚いて思わず顔を上げると、彼の真昼の空のような瞳と目が合う。
「戻ってきたら言いたいことがあるんで!」
ロナルドさんは真っ赤な顔で必死にそれだけ言い残すと、走り去ってしまった。
――今のは、何?
催眠術は私も彼も解けているはずで。もう彼の中に私に対するそういう感情は何も残っていないはずなのに。
夜の風が私の頬を撫でる。彼の触れた熱がまだ忘れられない。
2021.11.07