「こんばんは〜。あれ、ロナルドさんいないんですか?」
「は?」
事務所のドアを開けると、そこに退治人の姿はなく、吸血鬼とアルマジロだけ。ちょうど帰ってきたところらしく、上着を脱ぎかけているドラルクさんがこちらを振り返った。
何故だかひどく驚いた顔をしている。
「いるだろ、そこに」
「えっ、どこに?」
「ここ」
そう言ってドラルクさんが何もない空間に視線を向ける。まるでそこにロナルドさんがいるかのように。
よく目を凝らしたってそこには誰もいない。
どこかに隠れているのかと思ってソファの陰も確認したけれど、姿はない。
「もしかして、君、今夜の吸血鬼騒動の場にいたのか?」
「あ、はい。すごく近くってわけじゃないですけど、ちょうど同じ通りにいて」
テーブルの下を確認していた姿勢を戻しながら答える。
帰り道、歩いていると何やら道の向こうが騒がしかった。この新横ではさほど珍しい光景ではなかったけれど、少しだけ気になった。退治人が戦っているところに無防備に近付くほど馬鹿ではないので、他の足を止める通行人とさほど変わらない十分距離を取った位置で。
「なるほど。それで催眠術の流れ弾に当たったんだな」
「催眠術?」
「それが、好きな人が見えなくなる催眠術でね」
すきなひとがみえなくなるさいみんじゅつ。
「偶然居合わせたシンヨコの女帝が大暴れしたのだが、その話は今どうでもいい」
「えっと、ちょっと待ってください……」
整理させてほしい。
「好きな人が見えなくなるとかいう催眠術に私がかかってて」
「おそらくそうだろうな」
「今ロナルドさんが目の前にいるのに私には見えなくなっている」
「その通りだ」
「それってつまり――」
私が最後まで言う前にドラルクさんとジョンくんが深く頷く。
かぁっと自分の顔に熱が集まるのが分かった。
――それってつまり今この場で公開告白しているも同然ということ!?
「そろそろ催眠術の効果も切れるだろう。私たちは出ていくからあとはふたりで話したまえ」
そう言ってドラルクさんはジョンくんと連れ立って事務所を出て行ってしまう。「あの、まって」と言う私の静止も虚しく、パタンとドアが閉まる。
しんとした部屋の中に、私と、たぶんどこかにいるロナルドさんのふたりだけが残された。
こんな状況でふたりきりにしないでほしい。ドラルクさんとジョンくんの薄情者……といくら恨み言を言ったって、一人と一匹は戻ってこない。
「あの、ロナルドさん、本当にそこにいるんですか? 私を揶揄っているわけではなく?」
当然ながら返事はない。ドラルクさんは見えなくなる催眠術と言っていたけれど、正確には声も聞こえなくなるみたいだった。姿も見えず、声も聞こえないなんて、まるでいないみたいに。
ロナルドさんの表情が見えないのが怖い。――彼が今のこの状況をどう思っているのか分からないのが、こわい。
「あの、わたし、こんなつもりじゃなくて」
言いながら声がだんだん小さくなり、顔が俯いていく。急に事務所まで押しかけたりしなければ良かった。近くで吸血鬼騒ぎがあったから、ロナルドさんは大丈夫かななんて思ってしまった。退治人なのだからこれくらい日常茶飯事のはずなのに、どうしても顔を見たくなって。――結局、来たところで顔どころか姿も見えなくなってしまっていたのだけれど。
じわりと目元が熱くなる。
迷惑だったかもしれない。嫌われたかもしれない。きっとロナルドさんなら例えどんなに嫌だとしても困ったような顔をして断ってくれただろう。でも今は見えないから、彼の嫌悪の表情ばかり想像してしまう。
「いくら心配だからって来るべきじゃなかったですね。すみません、今日は帰り――」
「俺、期待してもいい?」
顔を上げると目の前にロナルドさんが立っていた。私にかかっていた催眠術が解けたのだろう。彼と目が合う。たぶん、きっと、彼は先ほどからずっと私と視線を合わせようとしてくれていたのだろう。私から彼の姿が見えていることに気が付いて、ロナルドさんがゆるく微笑む。
ぱちぱちと瞬きをすると、滲んだ彼の姿がくっきり映った。
「俺のこと、好きだって」
今さら誤魔化したって仕方がない。こくりと頷くと、彼の真っ赤な顔がさらに赤くなる。
彼の表情が見えたことに安心して目の端からぽとりと落ちた雫が、彼の指先で拭われた。
2021.10.26