「ご褒美……?」

 思わず私が聞き返すと、彼はぶんぶんと音がしそうなくらい勢いよく頷く。その彼の目の下にはくっきりと隈が出来ている。彼はつい先ほど書き上げたロナ戦新刊の原稿を担当編集者に渡したばかりだった。

「ロナルドさんがそういうこと言うなんて珍しいですね。もちろんいいですよ」

 仕事を頑張った彼氏を労わるのに否やはない。
 むしろ、いつも何かを頑張っても当然のことをしたまでだと言う彼に何かしてあげたいと思っていたところだったのだ。

「何がほしいんですか?」

 何でも甘やかしてあげたいと前のめりになる気持ちを抑えながら尋ねる。
 すると彼は少し言いづらそうに視線を下げて、普段よりもずっと小さく口を開いた。

「……す」
「すみません、もう一度――」
「キスしてほしい」

 彼の言葉に思わず固まってしまった。有名店のスイーツでも、大きなステーキでも何でもどんとこいと思っていたのに。完全に予想外だった。

「あの……」
「変なこと言ってごめん! やっぱ疲れてるのかも! 一瞬向こうで仮眠でもとってから――」

 そう言って背を向けて逃げようとする彼の肩を思わず掴んで引き留める。彼の丸くさせた瞳と目が合った。

「キス、しましょう!」
「へ?」

 私が言い切ると、彼の方から提案してきたというのにひどく驚いたような顔をする。そうして一瞬遅れて彼の頬が真っ赤になった。……ロナルドさんから言ってきたくせに。
 本当は額や頬はありなのか聞こうと思って、やめた。彼のこの照れ方は唇一択だ。

「……いきますね」

 恋人同士なのだからキスくらい普通にするのに。いつもどうしていたか分からなくなってしまった。思い返せば、こうして改まってキスすることは今までなかったように思う。いつも何となく、雰囲気で、彼との距離が近くなって。よく考えると私からはあまりしたことがなかったかもしれない。

「ロナルドさん、目閉じてください」
「ごめん……」

 青い瞳がじっとこちらを見つめてくるのに堪えきれずに頼むと、彼は素直に目を閉じた。銀色の長い睫毛が、緊張からか微かに震えている。きゅっと閉じられた唇も少しだけ強張っているように見えた。――期待、されている。
 私の心臓がバクバクと大きな音を立てていて、彼にも聞こえてしまうんじゃないかと思った。もういい大人なのにキスひとつでこんなにドキドキするなんて。

「……」

 彼の顔が近付く。どうやって息をしていたかも思い出せない。息の音も聞こえてしまうんじゃないかと思って呼吸を止めた。目を伏せて、彼の肩に置いた手に力を込める。ソファに乗せた膝が微かに沈んでいく。
 ――もう、これ以上は息を止めていられなくて、唇を合わせる。唇が重なった瞬間、彼の手が私の髪に差し入れられた。

「ん、もっと……」

 彼の吐息が唇にかかる。開けられた瞼の間から青い瞳がとろけるほど甘くこちらを見つめている。
 彼に撫でられると自分の輪郭がどろどろに溶けてなくなってしまうような感覚がする。

「ごほうびですから」

 私がそう答えると、彼は嬉しそうに目を細めてもう一度唇を落とした。

2021.10.04