「なんでこんな大雨!」

 大きめの独り言も全部雨音で隠れてしまうから便利だ。
 天気予報では今日一日雨の予報なんてなかったはずだ。雨粒は激しく地面を叩き、私の服は水を吸ってどんどん重くなる。

 雨を払うように顔を上げると、鮮やかな赤色が目に飛び込んできた。

「ロナルドさん?」
「えっ」

 彼が驚いた声で私の名前を呼んで、目を丸くして立ち止まる。激しい雨粒が彼の肩に当たって跳ねている。
 彼もこの大雨にやられてしまったらしい。

「俺の事務所近いから!」

 そう言うと彼は自分が被っていた帽子を取って私の頭に乗せた。パッと私の手のひらを掴んだかと思うと、そのままぐいと引いて走り出す。

 先ほどまで灰色かかっていた景色に、彼の纏う赤色が眩しいほど鮮やかに映えていた。

  *

 彼の事務所に着くと珍しく事務所の中がしんとしていた。事務所スペースを通り過ぎて居住スペースへ案内されるがままついていった。

 ドラルクさんとジョンくんの姿はなく、もしかしたら彼らもこの突然の豪雨にどこかで立ち往生しているのかもしれない。うっかり砂になったドラルクさんが排水溝に流されたりしていないと良いのだけれど。なんてことを、激しい雨粒が窓に叩きつけられているのを眺めながら思った。

「ほい、タオル」
「ありがとうございます」

 ロナルドさんの声に窓から視線を外して振り返る。

 タオルで髪を拭くロナルドさんも私と同じようにすっかり濡れ鼠だ。いつもの退治人の仕事着が沢山水を吸って、それが彼の歩く足跡に沿ってぽたぽたと垂れて道を作っていた。
 彼の髪は濡れて前髪がぺたりと額にくっついている。それを彼の手のひらが煩わしそうに掻き上げた。外に跳ねた髪の先からぽたりと雫が落ちていく。鎖骨を流れていくそれからしばらく視線を逸らせなかった。

「ロナルドさんがいて助かりました」

 あれだけの雨で全身ぐっしょり濡れてしまったあとでは雨宿りは意味がないし、第一濡れ鼠ではお店などには入れない。かと言って私の家まではまだまだ距離があって、前も見えないほどの豪雨の中進むのは少々危険ではないかと思っていたところだった。

「俺も会えて良かったっていうか……」

 自分の髪からぽたぽた垂れる水滴を拭き取っていくとすぐにタオルが水を吸ってびしゃびしゃになる。流しで絞らせてもらおうとしたのだけれど、ロナルドさんが慌ててクローゼットから新しいタオルを出して手渡してくれた。

「えっと……着替え、貸すよ」

 窓を見れば雨粒がガラスを激しく叩いている。先ほどよりもずっと雨足が強くなっているように見える。風も出てきたようだ。さらに嵐のように天候が荒れるかは分からないけれど、この服は一度乾かしてもらった方が良さそうだった。

「すみません、何から何まで」

 クローゼットの中をひっくり返す勢いで私が着られそうな服を探す彼を見て、迷惑を掛け通しで申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
 着替えと、家中から掻き集めてきたのかと思うほど山盛りのタオルを受け取ると、それまでずっとちょっと遠くを見ていたロナルドさんの視線がぴたりと私の前で止まる。何か言いたげに口を開いたあと、視線を忙しなくあちこちに移動させてひどく言いづらそうにおずおずと唇を動かした。

「……あのさ、風呂も貸した方が良かったりする?」
「いえ、そこまでは! 服だけ貸してもらえれば大丈夫です!」
「そっか! そうだよな……! 俺、あっちにいるから! 着替え終わったら呼んで!」

 そう言って彼は事務所側へほぼ走るように移動して、パタンと大きな音を立てて扉を閉めた。
 私の腕の中にある大量のタオルといい、なんだか余計な気を遣わせてしまっているような気がする。

 貸してもらったタオルで髪を拭くと、他所の家の洗剤のにおいがする。まさかこんな風にロナルドさんのタオルを借りたり、服を借りたりするなんて思ってもみなかった。
 余計な邪念を払うように頭を軽く振り、彼を待たせないよう手早く着替える。

「ロナルドさん?」

 ガチャと扉を開けて声を掛けると、こちらに背を向けていたロナルドさんの背中が飛び上がった。
 彼も着替えたようでジャージに服が変わっていた。

「すみません、もう着替え終わったので大丈夫です」

 振り返った彼は目を丸くさせてこちらを見たあと、すぐに居心地悪そうな表情であちこちに視線を彷徨わせた。

「あー、えーっと、そのサイズ……」
「あはは、ロナルドさんの服大きいですね」

 借りた服はいくら袖と裾を折っても、だぼっとしたシルエットは誤魔化せない。ウエストを紐で縛れるタイプでなかったらそもそも着られなかっただろう。
 笑って誤魔化してみたけれど、ロナルドさんの視線が刺さって居た堪れない気持ちになる。素直に子どもみたいだと笑ってくれても良かったのに、それをしないのはきっと彼がやさしいからに違いない。

「えーっと、あったかいお茶! そう、お茶淹れるぜ!」

 そう言ってロナルドさんがキッチンへ向かう。「お気遣いなく」と言った私の言葉も聞こえていない様子で、足取りもどこかふわふわして覚束ない。
 大丈夫だろうかと不安に思っていると、程なくしてガラガラガシャンと大きな音がした。
 驚いて振り返ると罰の悪そうに頭の後ろを掻いているロナルドさんと目が合った。

「片付けはあとでするから大丈夫! 待たせて悪いな。はい、ホットティー」

 差し出されたマグカップには琥珀色をした液体がたっぷり入っていた。ティーバッグが中でゆらゆらと揺れている。彼も同じようなデザインのマグカップを片手に持って、私の隣に座った。

「あの、ロナルドさん!」

 沈黙がなんとなく気まずくて、つい大きな声で名前を呼ぶと振り返った彼の空色の瞳と目が合った。

「えっと、なんでもないです……」

 彼の目をまっすぐ見ていられなくて、再び窓を見る。激しい雨で相変わらず窓の外の景色は見えなかった。もう夜の闇に包まれている時間のはずなのに、景色は灰色のままだ。

「雨、止みませんね」

 じわりとマグカップを持つ指先があたたまっていく。「そうだな……」と相槌を打つ彼の声も何故だかいつもより熱っぽく聞こえた。

2021.01.30