誰かが私の名前を呼ぶ声がすることに気が付いた。
ゆっくりと重たい瞼を開ける。本当はここが心地良くていつまでもこうしていたかったのだけれど、何故だか目覚めなければならない気がした。
「良かった! 気が付いたんだな!」
「……ロナルドさん?」
少しずつ焦点が合ってきて、ぼんやりとした像を結ぶ。その赤いシルエットには見覚えがあって、思わず恋しい人の名前を呼ぶ。するとそれまで険しかった彼の表情がゆるんでほっと息を吐く。
「意識もはっきりしてるみたいだし、とりあえず一安心だな……」
ぱちぱちと瞬きを繰り返す。けれどもいつもより近い距離にある彼の顔は消えたりしなかった。
「わっ!」
ぱっと起き上がってその場から飛び退く。ロナルドさんはアスファルトに膝をついて座っていた。腕は何かを抱えるように上げられたままだ。――先ほどまでその場所に自分が収まっていたことを理解した。おそらく送ってもらった別れ際、ふと意識の遠のいた自分を彼が介抱していてくれたのだということも。
「心配掛けてしまってすみません。ちょっとした貧血だと思うんですけど」
「そ、そっか。それなら良かったぜ!」
そう言ってロナルドさんが立ち上がり、私の顔色を確かめるように覗き込む。心配させてしまったせいか、いつになく真剣な青い瞳に思わず後ずさってしまった。
直前のことはあまり思い出せないけれど、落ち着けばそのうち思い出してくるだろう。それよりもロナルドさんとの距離が近くて、そちらのことにいっぱいいっぱいで他のことを考える余裕がない。
「えーっと、俺、もうちょっとそばについてようか?」
「そんな! 申し訳ないですよ。ロナルドさんも疲れてるでしょう?」
彼だって依頼をこなした後だ。おそらく明日だって退治の依頼があって、早く身体をゆっくり休めて備えなければならないはずで。
「今晩はありがとうございました。今度お礼をさせてくださいね」
私がそう言うと彼がまた微妙な顔をする。何かを言いたげな、でもそれを我慢するような、拗ねているような。私は彼のこの表情を知っていると思った。
「おやすみなさい」
「おう」
さびしい。
今晩は何故だか彼と離れがたく思ってしまった。お礼と称してお茶の一杯でも飲んでいってもらえば良かったと気が付いたけれど、もう遅い。夜明けも近いし、迷惑なのは分かっているのに引き止めたくて仕方がなかった。
「……やっぱ待って」
そう言って不意にくるりとロナルドさんが振り返り、彼の手が私の肩に掛けられる。
「これくらいならセーフだよな」
――ちゅっとかわいらしい音とともに何かが私の額に触れた。
私の「えっ」という言葉は喉を震わす前にどこかへ消えてしまった。何も言えないまま固まる私の視界に、首まで真っ赤に染まったロナルドさんの顔が映っている。
「じゃ、おやすみ! また明日な!!」
そう言ってロナルドさんはほぼ駆けるようにして去っていく。
その場に取り残された私はぽかんとその場に立ち尽くすことしか出来なかった。
「なに、いまの……?」
思わず額を押さえる。
彼の唇が触れた箇所が燃えるように熱かった。
2021.01.09