最近のロナルドさんはちょっとおかしい。

 ギルドで会うと必ず私を呼んで隣に座らせたり、あれこれ話しかけたり。そもそも彼がギルドに顔を出すことも増えた。さらにはラインに送られてくるメッセージも頻度が以前より増えている。

「じゃあ、私はこれで」

 ギルドで他の退治人たちと情報を交換し終わり、そろそろ帰ろうかと腰を上げたときだった。

「待って、送る」

 グラスの中身を一気に空け、ガタリと椅子の音を立ててロナルドさんが立ち上がる。わざわざそこまでしてくれたものを断るのも申し訳ないように思えて、彼の厚意をいつも断れなかった。

「ありがとうございます」

 私が答えると、不意に彼の腕が肩に回され軽く引き寄せられる。
 ――今までと決定的に違うのが、こうしたスキンシップが増えたことだった。
 不快ではないし、ドアを開けるときにはもう離れていってしまっているから何も言えない。

「今日の退治どうだった?」
「どうって……普通に下等吸血鬼を退治して終わりですよ」
「危ないことなかったか?」

 そのロナルドさんの言い方に思わず笑ってしまう。退治人の仕事なのだからどんな依頼でも多少の危険は付き纏うものなのに。この人はたまに過保護すぎる。

「ふふ、下等吸血鬼ですよ。いつも通りです」
「そっか」

 そう言って彼は眉を下げ、心底安心したかのように表情をゆるめる。

「俺もついて行けたらいいんだけど……」
「何言ってるんですか。ロナルドさんにはロナルドさんの仕事があるでしょう?」

 個人事務所を構えている彼には、退治人ロナルドの助けを求めてやってくる人々がいる。それに私とロナルドさんでは分野が違いすぎて何かあったとしても組むことはほとんどない。さすがにギルド総出で退治するときなどは一緒になることもあるけれども。

「それよりもロナルドさんの話を聞かせてください。昨晩は強大な能力を持った吸血鬼を退治したとか」
「いや〜! あれはそんな大したことじゃなかったな、うん。普通に退治して終わりだったぜ!?」
「そうなんですか? さすがロナルドさんですね」

 歩きながら「そこで俺がグーで殴……じゃなくて! 銃で麻酔弾を撃ち込んでやったぜ!」と手振り身振りを付けて話す彼の退治談はとても面白かった。生でロナ戦を聞いているようなものだ。なんという贅沢だろう。……所々彼の本当の苦労が窺い知れたけれど。

 そんな風に話を聞いて歩いていたらあっという間にアパートの前まで着いてしまった。残念ながらギルドから家まではものすごく離れているわけではない。
 もっと道のりが長かったら良かったのに。

「送ってくださってありがとうございました」

 ぺこりと頭を下げてお礼を言う。
 いつもならここでおやすみを言い合って別れるのだけれど、今日のロナルドさんは動かなかった。何かを言いかけるように口を開いては閉じるを繰り返している。

 何か私に伝えたいことでもあるのかと首を傾げつつも彼の言葉を待つ。彼が言いにくいような、例えば何か彼に謝られるようなことでもあったかなと記憶を探っていると、不意にそれまであちこちに彷徨っていた彼の視線が私へ戻ってきた。

「キス、したい」

 すぐに聞き間違えだと思った。
 けれども見上げた彼の顔は真っ赤で、照れを隠しているのか少し拗ねたような泣き出してしまいそうな、そんな表情だった。――その顔を見て多分聞き間違えなんかじゃないと、直観的に理解した。

「な、何言ってるんですか!」

 驚いて一歩退がると、彼が一歩近付いて距離が詰まる。

「なぁ、だめ?」

 捨てられた子犬のような顔で彼が請う。彼は背が高いからこの距離では私はほとんど首を傾けて見上げなけてはならないくらいなのに、彼の瞳は長い銀の睫毛の隙間から不安そうに揺れていた。
 それを振り払うように彼の胸を押し返す。

「ダメじゃないですけど、ダメです! いけませんってば、こんなこと!」
「なんで?」

 何でって。

「ここが外だから? 家ん中ならいい?」
「そういう問題じゃなくって……!」

 やっぱりロナルドさんはどこかおかしい。今日のロナルドさんは特に。

「……ハッ! もしかして知らない間に吸血鬼の催眠を受けてしまったのかも! 早くVRCで診てもらいましょう!」
「ちょっ……! 催眠食らってない、食らってないから大丈夫だって!」

 がっちり腕を掴んでぎゅうぎゅうとVRCの方角へ引っ張る。
 きっと『吸血鬼 女タラシ大好き』とかそういうやつの攻撃を受けたに違いない。そいつがロナルドさんを女と見れば誰彼構わず口説き出すようにしてしまったのだ。そんな吸血鬼いるのかは分からないけれど、この新横には色んな吸血鬼が集まるのだからそういう能力の持ち主がいたっておかしくない。

「ロナルドさんらしくないです! どうしちゃったんですか!?」
「俺らしくない……?」

 ロナルドさんはなぜかショックを受けたような顔で「えっ、俺らしさって何……?」とへこんでいる様子だった。この隙にVRCに引きずっていこうと思ったのだけれど、今度は一歩も動けなかった。

「俺とこういうことするのは、いや?」
「でも吸血鬼の仕業でおかしくなってるんでしょう? だって、じゃなきゃロナルドさんがこんなこと言うはずないんです……」

 じゃなきゃ彼が私を口説くなんて真似をするはずがない。彼は本当に好きな相手にしかこういうことを言わない人だから。
 きっと正気に戻ったら彼だって後悔するに違いないのだ。

「好きな女の子にキスしたいと思うの、普通じゃねえの?」

 好きな女の子? 一体誰が、誰に?
 頭の中をはてなマークでいっぱいにしているうちに彼の指が私の頬に触れる。あまりにも丁寧でやさしい触れ方に、逆に体が強張った。だって、こんなの、本当に好き、みたいじゃないか――

「こっち向いて」

 ひどく近くで聞こえる声に、心臓がドキリと跳ねた。
 こんな状態で彼の方を向けるはずがなかった。顔を逸らし彼との間に手をかざして、真っ赤になっているであろう頬を隠す。

「本当に嫌ならしないから」

 そう言う彼の声はどこまでもやさしくて、甘い。でも、私が本気で嫌がっていないことを知っている声だった。

「いい?」

 そっと手を下ろして顔も正面へ向ける。先ほどは不安で揺れていた瞳が、今ではすっかり熱を帯びた色に変わっていた。
 何かを返さなければならない気がしてもう全く回らない頭で言葉を探す。言いたいことや聞きたいことははまだ沢山あるはずなのに、全て思考から滑り落ちてしまう。

「ロナルドさん、好きです……」

 涙が溢れそうだった。他にどんな言葉でこの感情を伝えたら良いのか分からない。

 吐息が触れるほど近くで「ありがとな。俺も好きだぜ」と彼が返す。

 瞼を閉じると彼の匂いが鼻を掠めて、くらりと目眩がしそうになった。

2021.01.04