片想いの相手のデートについていって恋のキューピッド役をすることになった。

 もしそんなことを友人が言い出したら絶対に止める。いくらその男が好きでも、わざわざそんな傷付くことをしにいく必要はない、と。それなのに私はなぜだかその恋のキューピッド役をすることになってしまった。やめた方がいいと分かっているのに。


「野暮なことを言うが、一番かわいい服を着て、とびっきりおめかししてくるんだぞ?」

 ギルドからの帰り際、ドラルクさんはこっそり私に耳打ちした。
 見つからないよう隠れなければならないのだからなるべく地味な服装をと考えていたので驚いた。どうしてそんな格好をする必要がと言いかけてから、これが彼の作戦なのだと思い至った。
 デート先が遊園地ならばきっとドラルクさんとカップルのふりをした方が目立たないということなのだろう。木を隠すなら森の中、だ。

「はい、分かりました」
「あー、この間着ていたワンピースみたいなあんな感じが良いな。多分好みだろう」

 彼が言うのはつい先日オフのときに二人と一匹に会ったときのことだろう。あの日は都内まで買い物に行った帰りで、普段より少しだけ他所行きの格好をしていた。確かにあの服ならば上着なんかを変えればデート服としても十分着れるだろう。
 それにしても『多分好み』だなんて、ドラルクさんは自分のことなのに他人事みたいに言う。

「ドラルクさんと一緒なので心強いです」

 私がそう言うとドラルクさんはなぜだか普段から血色の悪い顔をさらに青くして「えっ?」と言ったあとバサリと塵になった。

 *

 デートは日の入り後に待ち合わせだった。ドラルクさんも一緒にくるのだから当たり前なのだけれど、私はそれを聞いてほっとした。

 行き先の遊園地は新横浜からそう遠くなかったので目的地での待ち合わせになっていた。待ち合わせ場所である改札前に行くと、彼らはすでに到着し、私がやってくるのを待っていた。
 ふたりはまた何かを言い争っているように見えたが、私の姿を認めるとぴたりと口を噤んだ。

「すみません、お待たせしてしまって」
「いや! 俺も今来たとこ!」

 「全然待ってない、うん」と答えるロナルドさんはこちらと目を合わせようとしないし、顔も赤く汗もかいているように見えた。挙動不審だ。
 私相手にすでに緊張しているようだった。

「ドラルクさん、今日の私の服どうですか?」

 上着は女性らしいシルエットになるものに。靴は遊園地デートなのでヒールは低め。鞄も小さいものにして、控えめにアクセサリーもつけてきた。いつもクラシックスタイルで決めているドラルクさんと並ぶことを考えてなるべく上品なイメージになるように心掛けてきたつもりだ。

「どうして私に聞くかねぇ。ロナルドくんに聞いたらどうだ?」

 それこそどうして、だ。はてなマークを浮かべる私に、彼はニヤリと笑みを向けた。

「ロナルドくーん、彼女が今日の格好おかしくないかって気にしているよ」
「ちょっとドラルクさん……!」

 慌てて止める私のことを無視して、彼はロナルドさんを「ほら、何か言うことがあるんじゃないのかね」と問い詰める。無理矢理止めようとするとドラルクさんの腕が軽く砂になり始めたので慌てて手を離す。
 ロナルドさんの様子を窺うと彼の視線がじっとこちらに注がれているのが分かった。頭のてっぺんからつま先まで眺めて、最後に私の顔まで視線が戻ってそこで止まる。何だか居た堪れない気持ちになる。今すぐどこかへ逃げ出してしまいたかった。

「似合ってる。すげぇかわいいよ」

 もう、それだけで十分だと思った。

 お世辞だとしても、彼が私を見て微笑んでくれただけで。

「えーっと、じゃあ行くか」

 そう言ってロナルドさんが歩き出そうとするものだから私は思わず「えっ」と大きな声を上げてしまった。

「えっ、もうひとりは……?」
「もうひとり?」
「ジョンのことかな? ちゃんといるから安心したまえ」
「ヌー!」

 ドラルクさんのマントの下から出てきたジョンくんが元気に鳴いて返事をする。

 てっきりデートを見守ってふたりが良い感じになるようこっそり手助けするものだと思っていたのだけれど、どうやら違うようだった。今日はデートの練習もしくは下見だったらしい。

「いえ、何でもないです。行きましょう」

 歩き出すと、不意に彼の指先が触れる。人の多い駅はふたり並んでいると歩きづらい。

「お先にどうぞ」

 そう言ってロナルドさんに道を譲ろうとすると、その手を取られた。彼の大きな手にぎゅっと包まれる。

「人多くて危ないから」

 そのまま私の手を引いて彼が歩き出す。
 ロナルドさんがいくら私を妹のように思っていたとしてもこれはさすがに過保護すぎるのではないかと思ったけれど、彼の手の熱さが心地良くてつい黙ってしまった。やや俯いて、静かに彼についていく。

 長いエスカレーターを上がるとすぐそこが目的の遊園地だった。

「うおー、観覧車でけー! なぁ、まずアレ乗らね?」
「観覧車は最後だと言っただろうが! 私のアドバイスをもう忘れたのか? 君の頭には本当に脳みそが入っているんだろうね!?」



 そのあとはなんやかんやあって、最後はドラルクさんとジョンくんも一緒に三人と一匹で普通に遊園地を満喫してしまった。

 ジェットコースターに乗ったり、お化け屋敷に入ってドラルクさんが塵になったり、ソフトクリームをジョンくんと食べたり。途中で下等吸血鬼が出てきて退治したりもしたけれど、どれもこれも楽しかった。
 あんなに大きな声を上げて笑ったのは久しぶりな気がした。

「あー、もう一生分笑った気がします。楽しかったですね」
「そう、だな……」

 ふと気が付くとドラルクさんとジョンくんの姿が消えていた。
 いつの間にか派手な電飾は鳴りを潜め、イルミネーションがきらきらと光っていた。明るく騒々しく楽しい音楽はいつの間にか遠ざかっていて、静かな甘い音楽が流れている。

 周りを見渡せば、手を繋いで歩いたり、ぴったりと寄り添って大きな観覧車のイルミネーションを眺めるカップルがちらほらといるだけだった。――あっちにいるのもカップルで、こっちにいるのもカップルだ。

 大変なところに迷い込んでしまったと驚いてロナルドさんを見上げると、オレンジ色の電灯が彼の顔を照らしていた。

「あのさ……」

 立ち止まって真正面に立つ彼は、今まで見たことのない表情をしていた。決意したような、苦しそうな、泣き出しそうな、そんな何かを全部混ぜた表情。
 彼の色んな顔を見てきたと思っていたけれど、まだ私の知らない顔がある。

「好きだ」

 彼がただ一言、ひたとこちらを見つめながら言う。
 静かに流れていた音楽さえ聞こえなくなって、足元のウッドタイルの感触もふわふわして自分がどこにいるのかすらあやふやになる。

「付き合ってください」
「あの、その……えっと……」

 「あ」とか「う」とか意味のない言葉ばかりが口から零れる。
 そこでやっと私は重大なことを思い出した。

 これは、デートの練習だ。

 あまりにも楽しくて、彼のための予行練習だということをすっかり忘れてしまっていた。ロナルドさんの言葉は決して私に向けられたものではないのに。

 彼から視線を逸らすと、いなくなったと思っていたドラルクさんとジョンくんが植え込みの影から顔を出していた。目が合った私に何かを伝えようとしているようにも見える。ドラルクさんはもう植え込みから身を乗り出し、頭を縦に大きく振りながら拳を突き上げていた。
 彼らの意図するところは分からなかったけれども、もういいじゃないかと思った。もう、思うまま、身を任せてしまっても。

「はい……」

 そう答えた瞬間手を引かれ、気が付くとロナルドさんの腕の中にいた。
 ドキドキと聞こえる心臓の音は自分のものかと思ったけれど、どうやら彼の心音も混じっているようだった。
 頬にふわふわと彼の髪が触れてくすぐったい。

「すっげぇうれしい」

 耳元で小さく落とされた声は何かを我慢しているようにも聞こえた。
 背中に回された腕はぎゅっと私を抱え込んでいる。力任せに抱き締めたように見えて、その実ひどくやさしい抱擁だった。

 それに私も何か応えたくて、腕を持ち上げる。彼の背中に回して、手のひらに力を込めたり解いたりを繰り返す。そうして抱き締め返しても良いものか逡巡していると、彼の手が私の肩に掛けられてパッと体が離れた。

「あっ、ごめんな、急に」

 ようやく見ることの出来た彼の顔はりんごのように真っ赤に染まっていた。
 そんなロナルドさんを見て、私は先程抱き締め返さなかったことを後悔した。練習でも何でもいいから彼を抱き締めておけば良かった、と。

「今日は本当にありがとな」

 はにかんだように笑うその顔は何だかとても久しぶりに見たような気がした。
 私の向こう側に見ている人じゃなくて、私自身に笑いかけてほしい。――でも、それが叶わないのなら、この人がずっと笑っていられるようにしてあげたい。

「えっと、夕飯でも食って帰らねぇ? 実は店予約してて……」
「ぜひ! おいしいものが食べたいです」
「もちろん……! 横浜でもおいしいって評判の店で――」

 そう言いながら彼がまた私の手を引く。
 夜の冷たい海風が吹く。いまだ、あのとき囁いた彼の吐息が耳元に残っているような気がした。

2021.01.04