きっと、タイミングが悪かった。
たまたま私がその場にいたから。
その日は偶然依頼が早く解決したので帰る前にギルドに顔を出した。すると運の良いことにロナルドさんとドラルクさんも来ていて、私はなんとなく同じ空間でマスターの淹れた紅茶をちびちびと飲んでいた。
事務所を持っているロナルドさんはギルドに毎日来るわけではない。だから片想いの相手である彼に会えたときは今日はもう依頼を受けるつもりがなくてもついギルドに居座ってしまう。
「このゴリラ! 本当に君は繊細さのカケラもないな!!」
「うるせーー!!」
そうこうしている間に、これもまたいつものことだがロナルドさんとドラルクさんの言い合いがヒートアップしていって、彼らの喧嘩が日常茶飯とはいえそろそろ誰か止めなくていいのかと心配し始めたところに、そのドラルクさんの一言が彼の口から発せられたのだった。
「そんなんだから君はいつまで経っても好きな子ひとりデートに誘えないんだろうが!」
「ばっ……! おまっ!!」
コトリと、私がカップを置く音がやけに大きく響いた。
一瞬でドラルクさんを拳で砂にしたロナルドさんが、ギギギと音を立てるようにゆっくりこちらを振り返る。聞いてはいけない話だったのかもしれない。女の子をデートに誘えないとは男の沽券に関わるとか。でも、それよりも何よりも私は――
「ロナルドさん好きな人とかいたんですか……?」
「いや、好きというか、気になるっていうか、放っとけないというか……」
私が掠れた声で発した問いに、彼が視線を逸らし、赤くなりながらしどろもどろに答える。
全く気が付かなかった。
彼はまだ退治人の仕事一筋で、そういうことに興味がないのだと思っていた。彼女がほしいと言っている姿はたまに見てはいたが、積極的に恋人を作るつもりはないのだと勝手に思い込んでいた。それに、今までそんな気配も噂話も聞いたことなかったのに。
「ど、どんな人ですか!?」
「あー……えっと……」
しばらく彼は視線をあちこちに彷徨わせたあと、照れくさそうに頬を掻いた。
彼が恋愛に興味があるのなら、もしかしてなんて期待してしまった。
「……かわいいひと、かな? 小動物みたいで守ってあげたくなる感じ?」
私とは全然違うタイプだった。
自分はこれでも退治人をやってるくらいだし守られるようなタイプではないことくらいは知っている。
ロナルドさんの好みはスタイルの良い大人っぽい雰囲気の女性だと思っていたのだけれど、実際好きになった人はそれとは少し違ったらしい。小動物みたいに守ってあげたくなるかわいい巨乳の女の子かもしれないけど。
聞かなければ良かったと後悔してももう遅い。
沈む心を隠そうと表情を取り繕っていると、私とは対照的にひどく楽しそうににまにま笑うドラルクさんがひょっこり顔を出した。
「最近、ロナルドくんは彼女とちょっと良い感じなんだよね。ちょ〜っとだけだけど」
「バカ、このクソ砂何余計なこと言ってんだ!」
彼はやっと塵から再生したところだというのにロナルドさんの拳で再び塵にされてしまったけれども、私はそれを気遣う余裕すらなかった。
――あの意外と奥手と言われるロナルドさんが女性といい感じになっている……?
「良い感じとかじゃなくて、俺ばかり空回ってるんだけどな。ハハハ……」
彼は照れを隠すようにそう言ったけれども、実際は上手くいっているのではないかと思う。
ドラルクさんが嘘を吐く理由もない。ただの片想いではなく、本当に彼の恋はそこそこ進展しているのだろう。
だって、ロナルドさんはとても良い人で、イケメンで格好良くて、たまにちょっと情けない姿を見せるところもあるけれども、それすらかわいいと思わせる、そんな人なのだ。彼に好意を向けられて、拒む女性なんているとは思えなかった。
「全然知らなかったです。……うまく、いくといいですね」
以前彼には励ましてもらった恩がある。にっこり笑って応援する言葉を掛けなければと思ったけれど、上手く出来ていたかは分からない。
ロナルドさんは何とも言えないような顔をして、ドラルクさんは額に手を当てて呆れたような顔をしているから、もしかしたら笑顔を作るのに失敗してひどい顔をしていたのかもしれない。
「そういえばロナルドくん、今度遊園地デートに誘いたいとか言っていなかったかね? どうだ、丁度良いから今誘ったら?」
「ばっ……! 何突然バラしてんだテメー!」
三度ドラルクさんは塵になったが、今回ばかりはそれに感謝した。ロナルドさんがやらなければ、私が彼を突き飛ばして黙らせてしまっていたかもしれない。これ以上余計な情報は知りたくなかった。デートに誘うだなんて思ったよりも良い感じではないか。食事とかと違って、遊園地は完全に紛れもなくデートだ。彼の恋はもうそんなに進展しているのか。
「ああもう、こうなったら仕方ねえ!」
頭を抱えていたロナルドさんがぱっと顔を上げる。その瞳と真正面から目が合ってしまった。まっすぐ深い青色が射抜いた――かと思えばそれは一瞬のことで、すぐに彼の視線は右へ左へふよふよと彷徨った。
「えっと……その……、良かったから一緒に来てくれね?」
「やり直しだな」
「うっせえ!」
何故だかドラルクさんがダメ出しをして、案の定砂にされる。
多分、この感じだとドラルクさんも恋のキューピッド役のようなものとしてついていくのだろう。それに私も加わって一緒にアドバイスをくれないか、と。
そんなこと出来るわけがない。
「あの、その日は私、用事があって……」
「合わせる! 予定合わせるから!」
「えっ、私の予定に合わせちゃうんですか!?」
そこは彼女の予定が最優先なんじゃないのか。そんなに自信がないのか。ロナルドさんのくせに。イケメンでモテモテのくせに。
「とにかく、私、出来ません!」
「なんで! 俺のこと嫌い!?」
「好きです! すきですけど――」
私の言葉にぴたりと彼の動きが止まる。
「えっ!?」
「おっ」
「あっ……」
「ヌー!」
勢いで言ってしまった言葉に何故だか皆の視線が私に集まる。一瞬遅れて、自分が何を口走ったのか自覚した。
好き、と言ってしまった。
ずっと隠してきたのに。するりと、こんなにも簡単に口に出てしまった。でも、今のは恋愛的ニュアンスが含まれる流れではなかったと思うのだけれど、なんか皆の視線が……!
「えっと、今のはそういう意味じゃなくて……!」
「えっ、じゃあ、やっぱりきらい?」
彼にこういう表情をされると弱い。その表情を見ないようにきつく目を瞑ったけれども遅かった。
嫌いなわけないじゃないですか。
胸がぎゅっと苦しくなって、居ても立っても居られない心地になる。彼の笑顔が曇るのは、嫌だ。何かしてあげたい。――それこそ彼のためなら何でも。
「あの……遊園地、今週の日曜でも大丈夫です……」
「えっ、マジ!? でも、予定は?」
「大丈夫です。ロナルドさんのためなら、いくらでも」
思ったことをそのまま口に出す。
無理矢理にこりと微笑んでみせると、不安が消えたのか彼の頬の血色が良くなり、瞳の青がきらきらと輝いていく。彼のこういう表情を見ると、私はいつも退治明けの、東の空から少しずつ昇る朝日を思い出す。
「……っしゃ!」
彼がガッツポーズをして子どものようにはしゃぐ。今にも飛び跳ねてそこら中を走り回りそうだった。
不意に、ぱっとこちらを振り向いて輝く瞳を見せた彼は、その勢いのままこちらを抱きしめてくるのではないかと思ってしまった。現実にはならなかったけれど。
「楽しみだな!」
「ふふ。そうですね」
馬鹿なのかと自分でも思う。わざわざ傷付きに行くなんてやめた方がいいに決まってる。
それなのに、彼の長い睫毛が瞬いてひどく美しく眩しい青い瞳がこちらへ向けられるので、私はまるでそれを本当に望んでいたかのように錯覚してしまうのだった。
2020.12.28