パチリとまるでスイッチが点くように目が覚めた。
「えっ、ロナルドさん……?」
目の前には端正な顔がある。すっと通った鼻筋に、閉じられた瞼を縁取る長い睫毛、銀色の髪は毛先が私の額に触れている。
その彫刻のように美しい顔を眺めていると、間接照明のわずかな光を受けてきらきらと瞬く綺麗な青い瞳と目が合った。まだ完全に目が覚めていないからか、いつもよりぼんやりとした表情でこちらを見つめている。
「おっ、起きたか?」
知らない間に腰に回されていた彼の腕にぎゅっと力が込められて、彼の胸に顔がくっつく。
彼の胸はふかふかして心地良い――じゃなくって!
「あっ、あの、わたし……!」
何とか彼の腕の中から出ようともがいたけれども、鍛えられた腕から簡単に逃れられるはずがない。いつの間にか掛けられていた毛布がずるりと肩から落ちる。
彼はまだ寝ぼけているのか、すんと私の首筋に鼻を擦り付けた。
「ひゃ! なんで……どうして私、ロナルドさんに抱きしめられて寝て……」
もうこれ以上は心臓が保ちそうにない。腕に渾身の力を込めて彼の胸を押し返す。すると抱きしめる彼の腕の力が弱まって、私たちの間に隙間が出来る。顔を上げると、目を丸くして驚くロナルドさんと目が合った。
パッと目にも止まらぬ速さで彼が飛び退いて――床の上で綺麗な土下座を決めた。
「ろ、ロナルドさん、顔を上げてください……!」
「俺は何もしてない! ちゃんと何もなかったから!」
「そうとも。この童貞に何かする勇気なんてあるもんか」
後ろから聞こえた声に振り返ると、スナァとロナルドさんのパンチを食らって塵になって崩れるドラルクさんの姿があった。そのすぐそばにジョンくんが塵になったご主人に向かって心配そうに「ヌー!」と鳴いている。どうやらここはロナルド吸血鬼退治事務所の居住スペース側の部屋らしい。時計を確認するとまだ朝早い時間で、冬の夜長の季節ではギリギリ夜明け前のようだった。
「本当に何も覚えてない、のか?」
ロナルドさんが、こちらの様子を窺うようにおずおずと顔を上げる。そんなに覚えていなければならないような大変なことを私はしてしまったのだろうか。サァっと顔から血の気が引いていくのが分かった。
「昨日俺がギルドに忘れ物をしたのを届けに来てくれて。丁度夕飯時だったからお礼に夕飯に誘って、ついでに酒も出したらすぐ酔って寝ちまったんだよ」
全く記憶にない。いや、ギルドでロナルドさんの忘れ物を発見して、マスターから彼に届けてあげてくれと頼まれたことまでは覚えている。その時点ではまだアルコールが一滴も入っていない状態のはずなのに、何故かそこから先の記憶も飛び飛びで、どうやってここまで来たかすらあやふやだった。
私がロナルドさんの服を掴んで離さなかったため仕方なくこの体勢のままで寝ることになったと聞かされたが、それもやっぱり記憶がない。服を掴んだまま離さないなんて赤ちゃんじゃあるまいし!
「すみません! ご迷惑をお掛けして!」
「いや、こっちも無理に誘っちまったみたいで悪かったな。退治のあとで疲れてたんだろ? いつもだったら一缶くらいで酔わねぇし」
ロナルドさんの自宅で夕食に誘われたことに舞い上がって酔いが回ったのだろう。彼の言う通り缶チューハイ一本くらいで記憶を飛ばすくらい酔っ払ったりはしない。彼だって当然予想外だっただろう。
「急にこっちにもたれかかって来たときはびっくりしたけど」
「あああああああ」
恥ずかしさに堪えきれず、声を上げて頭を抱えるとロナルドさんが慌てて慰めようとしてくれる。
「別に嫌だったわけじゃないから! 俺も妹がいるからそういうのには慣れてるっていうか!」
その言葉にぴたりと思考が止まる。
彼に妹がいるのは知っていた。彼が決して軟派な人間でないことも。でも――
「……妹扱いですか」
「えっ」
つい不満が口をついた。
「何でもないです! 泊めてくださってありがとうございました!」
だって、期待をするなという方が無理だ。いくら酔って寄りかかってきたからといって、何とも思っていない女性を抱きしめたまま眠ったりしないんじゃないかと。間違いがなかったのは同居人がいたからであり、彼が誠実な男だったからであって、決して間違いが起こってほしかったわけではないけれども。でも、抱きしめていてくれたのだから、彼に恋している身としては“もしかして”なんて思ってしまった。――なんて、馬鹿らしい。
頭を下げている間に、口角を上げてにっこり笑顔を作る。ぱっと勢いよく顔を上げると口元が引き攣っているのが自分でも分かった。
「わたし、帰りますね」
彼が私のことを恋愛対象として見ていないのは分かっていたじゃないか。でも妹のように思われていたことは知らなかったので、彼の中で子ども扱いされていたことはショックだった。ほんの一二歳年下なだけなのに。もっとも、彼の好みは胸の大きな歳上のお姉さんなので、そのどれもない自分は彼に子どもと思われていても仕方がないのかもしれない。
気を緩めるとぐすりと鼻が鳴ってしまいそうなのを隠して、鞄を引っ掴んでドアへ向かう。
「待って!」
ぎゅっと手首を掴まれた。あんなにも早く立ち去りたかったのに、ついぴたりと足を止めてしまった。
「えっと、ほら! まだ外暗いし、送ってく」
「でも……」
ロナルドさんの後ろでドラルクさんとジョンくんが必死な顔で頷いている。いいから行けと言わんばかりに手を振って、私たちを追い出そうとしているようにも見えた。そのドラルクさんとジョンくんのあまりの勢いについ気圧されてしまう。それに、今夜は彼らにも迷惑を掛けてしまっていて、後ろめたい気持ちもあった。
悩んだ末に、一度床に視線を落とし、再び顔を上げてまだ大きな仕草で手を振る彼らを見て、そのままもう一度俯いた。
多分、彼は善意で言っている。
「……じゃあ、お願いします」
「おう」
私が頼むと何だか素っ気ない返事が返ってくる。やっぱり彼に気を遣わせているだけなんじゃないかと思ったけれど、彼の横顔を見上げると次の言葉が出てこなくなってしまった。
「大丈夫、ちゃんと送るから」
彼に握られたままの手首がひどく熱かった。
2020.12.15