この日、私は突然気が付いてしまった。自分では可能性なんてなかったのだ、と。
「マスター! もう一杯ちょうだい!!」
「今日はもうこれくらいにしたらどうですか? 飲み過ぎでは?」
「まだまーだ、だいじょうぶです!」
普段ギルドでは退治人に酒は出ないが今日の私はオフだった。オフなのにわざわざギルドにまでやってきて酒を飲まなくても良いとは思ったけれど、あいにく私には他に行きつけのバーなんてものはない。今日はひとりでは飲みたくなかった。さびしい。
マスターとお喋りをしながら、新しいグラスを受け取る。マスターが呆れたように溜息を吐くのを聞こえなかったふりをして私はそれを一息で煽った。
「いい飲みっぷりだな!」
「ロ、ロナルドさん……!」
突然現れた彼に、思わずグラスを取り落としそうになった。今さら遅いというのに物陰へ隠れるようにして体を小さくする。
どうしてロナルドさんがここに。彼は今日遠方からの依頼で一日新横にはいないはずだった。そう聞いていたのに。
いつもだったら密かに想いを寄せる彼に話しかけられたことに舞い上がって喜ぶのだけれど、今日ばかりはタイミングが悪かった。
「ヤケ酒だそうですよ」
「ヤケ酒?」
「マスター!」
私が注文する前にアルコールの入ったグラスをこちらへ差し出しながらロナルドさんにもドリンクを出す。そのせいでロナルドさんは私の隣に腰を落ち着かせてしまった。マスターはそれで私を押し付けることが出来たと思ったのか、そのまま奥に引っ込んでしまう。
「なんか嫌なことでもあったのか? 俺で良かったら話聞くけど」
タイミングの悪いことに今日は顔馴染みの退治人は皆揃って不在だった。他に会話に入ってきてくれそうな人もいない。
隣を見るとロナルドさんが人が良さそうな顔でこちらを安心させるようににこにことこちらを見つめていて、私は慌てて視線を逸らした。
「えっと、その……失恋、したというか……」
上手い嘘が思いつかなかった。
案の定、彼の顔が一瞬で曇る。
「ご、ごめんな……! なんかつらいこと言わせちまって……」
「いえ、誰かに聞いてほしくてこんなところでヤケ酒してたわけですから……」
とは言え、まさかそれを片想いの本人に聞かせることになるとは思いもよらなかったけれども。
「ずっと、好き、だったんですけど、これ見込みないなって気付いちゃって」
余計なことを言っているという自覚はある。本人にこんなことを言うなんて、普段の私だったら絶対にしないだろう。でも今の私は酔っていて、正常な判断なんてこれっぽっちも出来なくて、この苦しい気持ちを少しでも吐き出したくて仕方がなかった。
「彼イケメンでモテるし」
ロナ戦は人気作だし、その著者であり退治人のロナルドさんには女性ファンが多い。顔面はひどく整っていて、長身でかなり筋肉もついていて男らしくて格好良い。
「それに、私、その、みりょく、もないし……」
彼の好みは胸の大きい女性であるのは知っている。けれども私の胸は決して大きいとは言えない。なんなら彼の方が胸が大きいのではないかと思うときすらある。
かと言って他の部分で勝負出来るほど自分に自信があるわけじゃない。彼と並んだ自分の平凡さに泣きたくなる。
「だからっ! 今日はヤケ酒なんですっ!」
ロナルドさんが「ふーん」と相槌を打つ。やさしい彼は話をきちんと聞いてくれてはいたけれども、些か興味のなさそうな声だった。
まぁ突然こんな卑屈で暗い話を聞かされればそうだろうなと、私はさらに自暴自棄な気持ちになってまたグラスの酒を煽った。
ダンッと大きな音を立ててグラスをカウンターに叩きつけると、それを諌めるように彼が私の手に触れた。
「魅力なくないけどな。俺はかわいいと思うぜ」
ロナルドさんの青い目に私の姿が映っている。
このときばかりはギルドの喧騒も耳に入らず世界が無音になって、ただ彼の瞳を見つめ返すことしか出来なかった。
――ロナルドさんが私のことをかわいいと思ってくれている。それは今まで一度だって考えたことのないことだった。
かわいいなと思われたくて私服のときはお気に入りのワンピースを選んだり、メイクを少し変えてみたり、髪を巻いてみたり。そんなことをしてみたことはあったけれど、本当の意味で、ロナルドさんが私自身をかわいいと感じることはないのだろうと思っていた。だって、彼の周りには美人だったりスタイルが良かったりかわいらしい人が沢山いて、その人たちには私は到底及ばなくて。まぁ悪くはないけれども特別かわいいと思うこともない、私はきっとそんなポジションなのだと。
「って、俺が言っても仕方ないか。あっ、さっきのセクハラじゃないからな! 訴えないで!」
呆けている私の様子を勘違いしたのか、ロナルドさんが焦り出す。
そんな彼の姿に思わずふっと息が漏れた。その音で私が怒っていないことが分かったのか、彼も表情をゆるめる。
「でも、まだ告ったわけじゃないんだろ? 諦めるのはまだ早いって!」
告白していないのは事実である。けれども私には勝率の低い勝負に賭けるような趣味もなかった。
「そいつ恋人とかいんの?」
「いない、はずです……」
「じゃあ振り向かせてやろうぜ!」
振り向いてくれないくせに。そう思いながら恨めしい気持ちを込めて彼の方を見ると、思いの外近くに彼の顔があった。
「大丈夫だって。な?」
そう言って彼が私の顔を覗き込む。
彼は、とてもやさしい人なのだ。
お人好しで、こんな私のヤケ酒にも付き合って、話を聞いて、慰めようとしてくれる。
じわりと胸の奥底にあたたかいものが流れ込んでくるような気がした。きっとこれはアルコールの熱だけではないはずだ。
「ロナルドさんの、ばか」
もっと好きにさせてどうするんですか。
「……まだ、好きでいても良いですか?」
「もちろん! 良いに決まってるだろ」
まるで当たり前のことのように言う。長い睫毛に縁取られた彼の瞳の中は晴天の空のようにきらきらと光が瞬いている。一切の曇りもなく、彼は心の底からそう思っているのが分かった。
彼がこうやっていつも正しい方へ引っ張っていってくれるから、私は――
「ロナルドさんのばか〜〜!」
がばりとカウンターに突っ伏して、酔ったふりをする。
ずっと、報われなければ価値がないのだと思っていた。
もう好きでいるのはやめようと思ったのに。どうせ報われないこんなつらい思いを抱えるくらいならいっそ綺麗に諦めようと思ったのに。こんなふうに言われたら、それも出来なくなってしまう。
ちらりと頭を起こして腕の隙間から様子を窺うと、彼は私を泣かせてしまったとアワアワと慌てている。
この人のことが、すき。
もう少しだけ、せめてこの気持ちを彼に告げる勇気を持てるようになるまで、この恋心を大切にしてみようかなと思ってしまった。
2020.12.10