「私に魅了をかけたでしょう!?」

 私が詰め寄ると、彼は小首を傾げた。そんな可愛らしい仕草をしてみせても無駄だ。不思議そうにする彼を無視してさらに詰め寄る。

「この間、私がドキッとしたときにでも掛けたんですか? 本当サイテーですッ!」
「いや、待て、何の話だ」

 先日、不覚にもノースディンと一緒にいたときにドキッとしてしまった。あのとき、たまたま彼の姿を見かけたから駆け寄って声を掛けると、振り返った彼は目を細めて、軽く息を吐き出すようにして笑った。ただそれだけのことなのに、そんな彼の表情は初めて見たからか、不覚にも心臓が跳ねてしまったのだ。
 でも、彼が新横浜に来た頃ならいざ知らず、知り合ってそこそこ経った今は魅了をかけてくることもないと思って安心しきっていた。そもそも、彼の魅了の能力のことすら忘れかけていた。信頼していたのに。

「おいしいご飯を食べているときも、眠る前も、挙げ句の果てには仕事をしている最中まであなたの顔がチラチラチラチラ浮かぶんです! これが魅了じゃなかったら何なんですか!?」

 私が一気に捲し立てると、彼は一瞬ぽかんと目を丸くさせた。言い訳ても考えているのかと、鼻息を荒くして次の言葉を待っていると、彼はぷっと噴き出した。

「ふはっ、あはは!」

 今度は私が惚ける番だった。何を笑っているのか。何故笑われているのかも分からず、口をぱくぱくと開いたり閉じたりすることしか出来なかった。

「君、それは私の魅了ではないよ」

 彼がまるで生徒に言い聞かせるかのように言う。しかし、そんなわけはない。彼は優秀な魅了の能力を持っていることは周知の事実なのだ。

「嘘を吐かないでください!」
「嘘ではない」

 慌てて言い訳でもしてくれたら良かったのに、こうも冷静に言い返されると、こっちも勢いを失ってしまう。

「大体、私の魅了はひとの自由意思まで奪う力があるのは知っているだろう」
「でも、程度を加減して弱くかけることだって……」
「そんな中途半端なことをして私に何の得がある?」
「それは……」

 言い返せずに言葉に詰まる。彼の能力の高さはよく知っている。あえて弱くかけたりなど面倒なことはしないで、きちんと魅了をかければすべてそれで済む話なのだ。彼にはそれだけの力があるのだから。それに、今まで彼はそうして生きてきたはずだ。

「じゃあ何だって言うんですか!?」
「さて、何故だろうね?」

 彼の口が三日月型に形作られる。いつの間にか彼との距離が縮まっていて、首を傾けて見上げないと彼の顔が見えない。

「よーく考えてみたまえ」
「まどろっこしい言い方をしないでください! どうせ答えを知っているのならさっさと今教えたら良いじゃないですか!」

 こっちはこのまま吸対に駆け込んでも良いんですよと半ば脅す。彼にはお騒がせ前科もある。吸対だって私を門前払いはしないはず。
 視線を逸らさないように一生懸命睨みつけると、彼は諦めたように、ハァとひとつ溜め息を吐いた。

「……恋だよ」

 彼の言葉にドキリと心臓が跳ねる。彼の口から意外な言葉が出てきたせいで驚いたのだろうか。ドッドッと心臓が勢いよく血を送り出す音が耳元で聞こえているかのような感覚がした。

「君、それは私に恋をしているんだ」

 彼が赤い瞳でじっとこちらを見つめる。ここ最近何度も脳裏に現れては消える顔だった。
 私が、ノースディンのことが好き? 好きだから、ふとした瞬間に顔が浮かんで、彼のことを考えてしまっていた? 彼の柔らかい笑顔を見たあの瞬間、私は恋に落ちてしまって――

「そ……そんなわけないでしょーが! 適当言うな、このスケコマシ!」
「本ッ当に君は頑固だな!? いい加減認めなさい!」

2023.03.30