「旅行に行きたいなぁ」

 それはそこまで深い意味を持つ言葉ではなかったはずだった。『おいしいもの食べたいなぁ』とか『明日仕事行きたくないなぁ』とか、そういう類の。『旅行いいよね』とか『そうだね、行きたいね』とかそう言う返事が返ってくるものだとばかり思っていたのに。

「じゃあ、旅行行く?」

 隣に座って一緒に旅番組を見ていたドラルクさんがそんなふうに言うものだから、私は飛び上がって驚いてしまった。

「え?」
「どこがいい? 日本国内? それとも海外まで行っちゃう?」
「えっと、国内で」

 一瞬落ち着いて冷静に考えればふたりきりの旅行のはずがない。片想いをしている私にとっては非常に残念なことだけれど、私たちはまだお付き合いをしているわけではないのだし。多分、皆と一緒だ。そうなると国内の方が行きやすいはず。

「いいね。北と南どっちがいいかな?」


 気が付けば、私は電車に乗っていた。
 あのあと、ドラルクさんはスマホでささっといくつかの予約を済ませると、私を外へ連れ出した。そのまま駅へ向かい、途中駅ビルで一着のワンピースを購入し、改札を通ってホームへ。あれよあれよという間に、私は彼に手を引かれて電車に乗っていた。
 プシューと私たちの後ろで車両のドアが閉まる。

「そのバッグも上に乗せる?」
「いえ、大丈夫です……」

 彼は「そう」と返すとその長い腕を伸ばして網棚の上に荷物を乗せた。彼の大きすぎない鞄と、先ほどの買ったワンピースの入った紙袋。

「ほら、座ろう?」

 再びそっと手を引かれ、彼の隣に座る。今までこうして彼とこうして一緒に電車乗って出掛けるなんてことなかったから、何だか変な感じがする。彼の細長い足が、座席の高さに対して余っている。私は足を揃えて、手も膝の上に置いてお行儀よく座っていた。
 車窓の外に流れる街の明かりと、ガタンゴトンと揺れる電車の音もどこか遠くに思える。車両内は何故か珍しく人が少なく、静かだった。

「どこに行くんですか?」
「悩んだけど、今回は北の方にしたよ」

 北の方ってどこだ。この電車がどこ行きなのかも分かっていない。ドラルクさんと一緒なら大丈夫だとは思うけれど。

「君と旅行だなんて初めてだね。予約した旅館には露天風呂もあるみたいだよ」
「えっ!?」

 驚いて横を見ると、ドラルクさんもこちらを向いていて目が合う。その瞳は楽しそうに細められている。その表情からは彼の真意は見えなかった。
 露天風呂って、あの露天風呂? 紳士的なドラルクさんに限って、そんな、まさか。

「あの、部屋は別、ですか……?」
「あはは」

 口を開けて彼が笑う。何だか誤魔化された、ような気がする。
 でもだって、私たちは友達だし。彼の方も一緒に旅行してもいいとは思う程度には私に心を許してくれているのだとは思うけれど。でも、彼に限ってこんな一足飛びに。

「楽しみだね」

 するりと、彼の手が私の手に重ねられて、指先が絡められる。低いはずの彼の体温が、何故だかひどく熱く感じられた。

2022.03.26