あ、この花あの人に似合いそう。
 仕事帰り、駅前の花屋の前を通ったとき偶然目に入った花を見てそう思った。気が付けばその花をミニブーケにして包んでもらい、浮き足立った気持ちで事務所へ向かっていた。

「あれ、君今日夕飯食べに来る日だっけ? いや、多めに作ってあるから問題ないよ。ちょうど出来上がったところだ、君が来たなら先にご飯にしようか」

 私がロナルド吸血鬼退治事務所のドアを叩くと、エプロン姿のドラルクさんが迎えてくれた。彼は私を見て少し驚いた表情をしたあと、にっこりと笑顔を見せて私を居住スペースの方へ招き入れる。その後ろ姿を見て、私はやっと正気に戻った。

「あの、急に訪ねてきてすみません。今日は夕飯をご馳走になるために来たわけじゃなくて」
「そうなの? ま、でもせっかく訪ねて来たんだから食べてったら?」

 そう言って彼は入り口で躊躇う私の手を引く。ロナルドさんは今日はまだ退治から帰ってきていないようだ。もう片方の手に持った、花束の入った紙袋がかさりと音を立てた。渡すなら今だ。お土産を渡すなら、椅子に座る前がタイミングだ。家に持って帰ったって虚しいし、一人暮らしの部屋に花瓶なんかない。今ここで渡すのが花にとっても、しあわせなはずだ。

「あの……!」
「ん?」
「あの、これ、お土産です」

 紙袋のまま彼に差し出した。彼の細長い指が紙袋の紐を引っ掛ける。

「お土産? そんなのいいのに」

 彼はがさごそと紙袋の中身を見ると、その目をまるくさせた。私がお土産を持ってきたこと自体も意外だっただろうけれど、その中身はさすがの彼も予想だにしなかったに違いない。

「かわいい花だね。どうしたの? 今日なんかの記念日だっけ?」
「偶然花屋で見かけて、かわいかったので……」
「それで私にプレゼントを?」

 こくんと頷くと彼の笑みがますます深くなる。むにむにと彼の唇が、何かを言いたそうに動く。言いたいことがあるなら一思いに言ってくれればいいのに。笑うなら笑ってもいいのに。
 退治人事務所はお客さんが来るからこういう花を飾ったらどうかと思ってとか、ドラルクさんの料理に花が添えてあったらもっと素敵だろうなと思ったからとか、もっと何かそれらしい贈り物の理由を付けたら良かった。

「変、でしたよね……。何でもないのに急に花束を贈るなんて」
「そんなことあるものか。私は嬉しいよ」

 そう言って彼はその黄色い花に顔を寄せる。高い鼻が一度くんと花の匂いを嗅ぐ。彼の細められた目から、きっと良い匂いがしたのだろうなと思う。

「私のこと、思い出してくれたんだ?」

 そう言って彼が私の顔を覗き込む。彼の言葉の意味を理解して、頬が燃えるように熱くなった。多分きっと、このひとは私が花屋の前で考えたことをすべて正しく理解している。

「さぁ、夕飯を食べていって。このブーケのお礼に、君の好きなデザートも一品追加で作ろうかな」

 歌うように彼が言う。再び彼が私の手を引いて、部屋へ招き入れる。部屋の中は夕飯のおいしそうな匂いで満ちていた。

2022.03.26