「ただいま〜」
実家にいたときからの癖で、一人暮らしを始めても玄関を上がるときについただいまと言ってしまう。
「おかえり。晩ごはん出来てるよ」
そう言って明るい部屋から彼がひょこりと玄関に顔を覗かせる。
本来なら誰もいない真っ暗な部屋のはずなのだけれど、電気が付いておかえりと言ってくれるひとがいるだけで、残業の疲れもどこかへ吹っ飛んでいくようだった。
「ありがとうございます。うわ〜、いい匂い」
いそいそとパンプスを脱いで、ちゃちゃっと手を洗って、彼が料理を並べてくれているテーブルの元へ。
ドラルクさんは予定が空いているとき、こうして我が家へ来て、私の料理を作ってくれる。
私が残業したあとだと随分夜遅い時間になってしまうので申し訳ないなと思ったのだけれど、吸血鬼にとってはこれからが活動時間なので問題ないと言われた。
「おいしそ〜!」
私が食卓につくと、彼もエプロンを外して向かいに座る。
並べられた料理たちからはほかほかと湯気が立ち上っている。
「どうぞ、めしあがれ」
「いただきまーす!」
手を合わせたあとに箸を持ち上げ、さっそくおかずを一口、口に入れる。しっかり味の染みたお肉がじゅわと口いっぱいに広がる。作りたてのあたたかい手料理。涙が出るほど――
「お、おいひい……」
「それは良かった」
そう言ってドラルクさんが眦を下げる。
あったかくておいしい料理をもう一口ぱくり、もう一口ぱくり。箸が止まらない。汁物までついている。
長時間労働後の体に染みる。明日への活力が湧いてくる。そして目の前には片想いの好きな人。これ以上のしあわせは、私には思い付かなかった。
こうして彼に夕飯を作ってもらうのはもう何度目になるだろう。
「ちゃんと野菜も食べるんだよ」
口いっぱいに頬張ってしまったあとだったから、一生懸命頷いて応える。ドラルクさんの特製ドレッシングはサラダもおいしく食べられる。彼の手にかかればどんな食材も一流レストランのようにおいしくなってしまう、魔法のようだった。
「ドラルクさん、一生家に来てほしい……」
「うーん、それは無理かな」
戯言にマジで返される。グサリと彼の言葉が胸に刺さる。分かってる。分かってるってば。
夕飯作りを提案してきたのは彼の方だったけれど、合鍵を持つことには随分と渋られた。
曰く、若い女の子が云々、そんなホイホイと合鍵を渡すのは云々。私が帰宅したタイミングですぐにあったかいご飯が食べられること、それが睡眠時間の確保に繋がり、ひいては私の健康に繋がるのだとくどくどと説き伏せると最終的には彼の方が折れてくれたけれど。
「ですよね」
へらりと笑って、手に持ったお茶碗から箸でお米を口に運ぶ。落ち込むな。せっかくのおいしい料理がもったいない。
私の健康のため、そして彼を寒い夜に外で待たせるよりかは好きなときに来て作ってもらった方がいい。そういうつもりでお互いやっている――ということになっているのだから。合鍵にはそれ以上の意味はないのだから。
お米をもぐもぐと口に運んでいると、ふとドラルクさんがこちらをじっと見つめていることに気が付いた。
「……もうちょっとだと思うんだよね」
「何がですか?」
「いや、何でもない。今日は君がいつもより早く帰ってこれたからデザートも用意してるよ。一週間お疲れ様」
「ドラルクさん……! だいすきっ!」
こんなにもやさしい相手にこれ以上何を望むだろう。こうして一緒の時間を過ごせて、彼のやさしさが私に向けられるだけで満足だ。それだけで、満足しなくては。
一生は無理だとしても、この時間が少しでも長く続けばいい。
「本当にもうちょっと、なんだよね」
テーブルに肘をついて、腕で軽く頭を抱えるようにして俯く彼の表情は見えない。それでも私がドラルクさん、と名前を呼べば「何だい? どうしたの?」とひどくやわらかい表情で顔を上げるから、私は何度でも彼に恋してしまうのだ。
2021.11.26