私はこの吸血鬼のことが苦手だ。
「いらっしゃい、お嬢さん」
外国育ちだからか知らないが、彼は女性の扱いに慣れている。
彼は事務所を訪れた私の手をすっと取って部屋の中に導くと、最後には椅子を引いて座らせる。完璧なエスコートだ。流れるような所作。
あまりにも丁寧に触れる指先に、背筋がぞわりと粟立つ。
「ミルクティーで良かったかね?」
そう言って彼が自然とお茶の準備を始める。彼がティーカップを置くカチャリという小さな音で私はハッと我に返った。
「って、ここ住居スペースじゃないですか! ダメですよ!」
「きみは私の客人だろう?」
違うと叫びたかった。私はロナルド吸血鬼退治事務所に用事があって、退治人ロナルドの依頼人としてここにやってきた。ただの依頼人をプライベートな空間に案内したりはしない。そのはずなのに。
「はい、シフォンケーキ。ホイップクリームの追加がほしかったら言ってね」
ふわふわのシフォンケーキに真っ白なクリーム。ご丁寧にミントまで添えられてお店のケーキみたいに綺麗に盛り付けられている。隣でジョンくんが「ヌー!」と歓喜の声を上げている。
正直ここまでおもてなしされ、ジョンくんの一緒に食べないの?という視線を振り切るのはかなりの勇気が必要だった。それでもぐっと体に力を入れて腰を浮かす。
「ロナルドさんがいないなら――」
「まぁまぁ、そう慌てなくとも。彼ならすぐ戻ってくるよ。どうだね、その少しの間私とお茶を飲んでゆっくり過ごすのも悪くないだろう?」
客人には丁寧なのだ、この吸血鬼は。私の肩に手を当てて椅子に留めると、にこにこと人の良い笑顔を向ける。
その肩に触れた手もやさしく、決して力で押さえ込もうという感じではないのだ。それなのに私のおしりはすとんと椅子に逆戻りしてしまう。
「それとも、何か急ぎの用事でも?」
私は退治人ロナルドに吸血鬼退治を頼みにきた依頼人だ。今一番の急ぎの用事は退治の依頼で、それ以外にあるはずがない。多分、彼はそれも分かっていて聞いている。ひとつ逃げ場を塞がれた。
「……」
「……フルーツケーキの方が良かったかな?」
フルーツケーキも好きだけれど、今はそんなことはどうでもよくて。ただこの場から逃げることばかりを考えていた。
「きみは何が好き?」
彼が横から軽くこちらを覗き込んで尋ねる。
こんなに丁寧に扱われたら勘違いしてしまう。日本人はエスコートされるのも、スキンシップも、ここまで大事に扱われることにも慣れていないのだ。きっと彼にとってはどれも普通のことなのに。
「私が好きなのは……」
「うん、きみが好きなのは?」
私が見つめ返すと、彼がやわらかく目を細める。
もしも、あなたが好きだと返したなら、彼はどんな反応をするだろう。
私は彼のことが苦手だった。
2021.11.09