「私の、恋人になってほしい」

 彼がじっと私を見つめながら言う。その目元はまるで大切なものを見るかのように蕩けている。
 それはずっと望んでいて、けれどもずっと聞きたくなかった言葉だった。

「だ、だめです」

 私の返事に彼が軽く目を見開く。驚いたような表情を見せても、私の答えは変わらない。
 彼の視線から逃れるように顔を背けた。一歩後ろに退がると、その分彼も一歩距離を詰める。それを繰り返していって、ふらふらといつの間にか壁際まで追い詰められてしまっていた。

「だって、わたし、あなたに返せるものがありません」

 あなたと同じだけの想いは返せない。だって、だって私は。

「吸血鬼なるのもまだ……」

 吸血鬼の伴侶となった人間は吸血鬼となることが多いと聞く。けれども私にはまだ、そこまでの決心が出来ていなかった。
 吸血鬼になる選択をした人たちは何を思ってその決断をしたのか。私にとってはとてもとても大きな問題のように思えるのに。

「真剣に考えすぎだよ。いや、真剣に考えてくれるのは嬉しいがね? もっと気楽にいこう。人間同士だって結婚する前に何人かと付き合ったりするだろう? 私とも同じだと思えばいい」

 彼は二百年以上生きているという。その十分の一ほどしか生きていない私みたいな小娘をどうして好きになれたのだろう。
 時折何十年も前のことをまるで昨日のことのように話す彼とは、時の流れが違うのに。

「お、おもえません……」

 彼のことはそんなふうに思えない。
 もしも、私が吸血鬼にならないという選択をしたのなら。もしも、ずっと決心が付かなかったとしたら。私は彼を残して逝く。そのあと彼はきっと永い時を悲しむのだろう。ずっと長いこと色褪せないまま。普段は楽しそうに過ごしていても、ふとした瞬間に傷を思い出す。彼はそういう人だと、私はもう知ってしまっていた。
 ――だから、愛されたくなかった。

「わたしはドラルクさんのことそんなふうに思えません」

 彼には悲しんでほしくない。私のために傷付いてほしくない。この人を傷付ける自分を許せない。
 彼を拒絶する言葉を口にしているというのに、その本人はひどく穏やかな目でこちらを見ていた。まるで私の本心なんて全て見透かしているかのように。

「君はやさしい人だ。でも――」

 そう言って彼が私の手を取った。そっと、まるで大切なものに触れるかのように丁寧に、恭しく。そしてその指先に軽く口付ける。
 視線を上げた彼の瞳と目が合って、動けなくなる。

「私はもう覚悟を決めてしまったんでね」

 殺したはずの恋心が微かに息をする音を聞いた。

2021.10.16