「血なら私のをどうぞ!」

 そうやって首の後ろにかかる髪を避けてうなじを差し出してみても彼はこれまで一度も私の血を飲んだことはなかった。
 だから、今日もいつものように断られて、あしらわれて、それでおしまいになるのだと思っていた。

「そう。それじゃありがたく」

 そう言って冷たい彼の指先が私の首に触れる。いつもとは違う展開に瞬きを繰り返している間に彼の顔が近付いてくる。
 べろりと濡れたものが首筋を這った。

「ひゃっ……!」

 思わず声が出る。ぞわりと背中から何かが駆け上がってきて、思わず逃げるように背中を丸めた。その様子を見てドラルクさんが笑い声を漏らす。
 彼の口の中から赤い舌が覗いていた。そこでようやくそれに舐められたのだと気が付いた。

「どうしたんだい? 君は常日頃から吸血されたいと言っていたじゃないか」
「だい……、だいじょうぶです……」

 すぐにがぶりとやられるものだと思っていたから驚いただけ。痛みに堪える覚悟は出来ていたけれど、それ以外の感覚が与えられるとは思っていなかったから。
 顔を上げるとドラルクさんと目が合う。彼は私を見て一瞬目を丸くさせ、彼の右手が私の頬に添えられる。
 そうして数秒見つめ合ったあと、彼は思いっきり顔を顰めた。

「なぁーにが大丈夫だ、アホ娘! 無理するな!」

 脳天にびしりとチョップが入る。痛くなかったけれど「あたっ!」と思わず反射で声が出た。

「あいにく私に加虐趣味はないんでね! これに懲りたら出来もしないことは口にしないことだ」

 その言葉に本気で私の血を飲む気なんてなかったのだと分かった。
 舐めたのも、多分注射前の消毒みたいなもので、きっと深い意味なんてないのだろう。それでびびっているようではその先なんて無理だという言い分も分かる。でも、でも。

「ちょっとびっくりしただけです!」
「いーや、今のはちょっとじゃなかったね!」

 ちょっと飛び上がってそのあと体を固くしてしまっただけで、相手を突き飛ばしたり泣き喚いたりしなかったのに。彼は私に対して過保護すぎると思う。

「でも、舐められて嫌じゃなかったのは本当です」

 私は、彼から与えられるものなら何でも受け入れたかった。

「君は本当に〜〜っ!」

 私の言葉がお気に召すものでなかったのか、彼はその場で地団駄を踏む。

「私が高潔な吸血鬼であったことに感謝したまえ! 本当に次はどうなっても知らないからな!」
「望むところです!」
「だから! 君、言い方!!」

 彼は怒ったようにそう言うと、マントを脱いでそれで私の頭をすっぽりと覆って隠してしまった。「なにするんですか」という私の声はマントの上から揉みくちゃにされてもごもごと言っているようにしか彼には聞こえなかったと思う。


「……あまり煽ってくるんじゃない」

 小さくぽつりと溢すように言った彼の表情は、暗闇に阻まれて見えなかった。

2021.03.28