日の入りから一時間後。
ロナルド吸血鬼退治事務所のドアを叩くと、中から物音が聞こえてきた。それがノックに対する返事なのか、それとも単なる生活音なのかは分からない。ドアノブに手を掛けるとすんなりとドアが開く。開いていれば好きに入って良いとは言われていた。
ふぅと、入口でひとつ深呼吸してから「お邪魔します」と言いながら事務所に入っていく。誰もいない事務所を通り過ぎて、居住スペースへ。
冬は日の入りが早い。暑い時期よりも早い時間に訪れられることが嬉しくもあり、少しだけ怖くもあった。
「やっと来たのかね。今日は少し遅かったか?」
「ヌー!」
部屋のドアを開けるといつものクラシックスタイルのスーツを着こなした吸血鬼が、相棒のアルマジロとともに出迎えてくれた。今日の彼はすでに黒マントの代わりに黒いエプロンを身に付けていた。
「今日はお土産を買ってこようと思ったら、つい店員さんと話し込んじゃって」
言いながら彼に紙袋を手渡すと、彼はそれを受け取って中を覗き込む。
「ああ、いいお茶だね。今日のおやつに合いそうだ」
そう言って目を細めたあとに、彼はにやりと楽しそうに口角を上げる。
店員さんと話していたのも嘘ではない。だけど遅れた本当の理由は、彼へ贈るのに相応しい銘柄を悩みすぎてしまったことだった。彼の笑みはそんなことくらい簡単に見透かしていそうで、そわそわと落ち着かなくなる。
「ほら、君も早くエプロンを付けたまえ」
手渡された私専用のエプロンを付けながら彼のあとを追ってキッチンに入る。そこにはすでに材料も器具も並べられていて、もうすっかり準備が整っていた。
「今日作るのも基礎中の基礎だ。まぁ私が付いていれば失敗するはずもない内容だから気楽にしてていいよ」
「はい!」
きちんと手を洗ったあとに、彼の指示する材料を言われた通りの分量を計って混ぜ合わせていく。私はこの計る作業が苦手で、手は相変わらずぷるぷる震える。
「君もちょっとずつ上達してはいるが、本当に亀のような速度だな」
「すみません……」
「謝らなくていい。このドラドラちゃんが君を立派なパティシエにしてみせる! 安心したまえ」
そう言って彼はくしゃりと私の頭を撫でる。ぎゅっと強く目を瞑って、胸がきゅんと甘く痛むのをやり過ごした。
「がんばります!」
私は彼に頼み込んでお菓子作りを教えてもらっている熱心な生徒だ。週に何度か彼の元へ押し掛けて、手取り足取り教えてもらう。最初は失敗ばかりしていたのだけれど、最近は簡単なものなら彼の指導のもと作れるようになってきた。
「ふふ、君は本当に素直ないい生徒だねぇ」
上達は遅いけれど良い生徒。彼にプラスの感情を持たれていることが嬉しくて頬が緩む。材料をかき混ぜている手にもつい力が入ってしまう。
「そう言ってもらえて、うれしいです」
だけど、本当はお菓子作りの上達だけが目的ではないのだと言ったら、彼を幻滅させてしまうだろうか。
「次これ入れて」
「はい!」
カシャカシャとボールと泡立て器のぶつかる音が鳴る。ジョンくんは「ヌー!」と楽しそうに鳴いて、ドラルクさんも上機嫌で鼻歌が漏れていた。その雰囲気に当てられて私もついへらへらと笑う。
今日のおやつは何だかいつもより上手く作れそうな気がした。
2021.01.31